朝日日本歴史人物事典 「雪窓宗崔」の解説
雪窓宗崔
生年:天正17(1589)
江戸前期の禅僧。豊後(大分県)直入郡に生まれ,慶長4(1599)年出家し真宗の僧となり,同18年臼杵の臨済宗妙心寺派多福寺に転ずる。その後,江戸などで研鑽を積み,鈴木正三らと交流。元和2(1616)年,豊後国臼杵藩主稲葉一通の招請により多福寺2世,寛永10(1633)年妙心寺第1座,同17年後水尾上皇に招かれて参内。正保3(1646)年には天皇が高僧に下賜する紫衣を受ける。翌4年長崎興福寺でキリシタン破斥の説法を行った。幕府,長崎奉行などの後援を受けたものだった。慶安1(1648)年排耶書『対治邪執論』を著した。同書は,キリストが仏法を取り入れたが理を悟ることなく外道に陥ったと論じたものである。<参考文献>大桑斉編『雪窓宗崔』
(村井早苗)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報