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雪窓宗崔 せっそう そうさい

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

雪窓宗崔 せっそう-そうさい

1589-1649 江戸時代前期の僧。
天正(てんしょう)17年生まれ。浄土真宗から臨済(りんざい)宗に転じる。豊後(ぶんご)(大分県)多福寺住持をへて京都妙心寺第一座となり,後水尾上皇から紫衣(しえ)をうける。長崎の興福寺でキリシタン排斥の説法をおこない,慶安元年「対治邪執(たいじじゃしゅう)論」をあらわした。慶安2年3月25日死去。61歳。豊後出身。俗姓は池田。

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朝日日本歴史人物事典の解説

雪窓宗崔

没年:慶安2.3.25(1649.5.6)
生年:天正17(1589)
江戸前期の禅僧。豊後(大分県)直入郡に生まれ,慶長4(1599)年出家し真宗の僧となり,同18年臼杵の臨済宗妙心寺派多福寺に転ずる。その後,江戸などで研鑽を積み,鈴木正三らと交流。元和2(1616)年,豊後国臼杵藩主稲葉一通の招請により多福寺2世,寛永10(1633)年妙心寺第1座,同17年後水尾上皇に招かれて参内。正保3(1646)年には天皇が高僧に下賜する紫衣を受ける。翌4年長崎興福寺でキリシタン破斥の説法を行った。幕府,長崎奉行などの後援を受けたものだった。慶安1(1648)年排耶書『対治邪執論』を著した。同書は,キリストが仏法を取り入れたが理を悟ることなく外道に陥ったと論じたものである。<参考文献>大桑斉編『雪窓宗崔』

(村井早苗)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について | 情報

世界大百科事典内の雪窓宗崔の言及

【鈴木正三】より

…1616年(元和2)大愚が江戸に南泉寺を開いて住するとこれに参じ,19年武士を捨てて出家した。以後,仏教復興を念願して,大和法隆寺で沙弥戒をうけた真言律僧の賢俊良永,豊後多福寺の妙心寺派僧雪窓宗崔,曹洞宗でのち宇治に興聖寺を再興した万安英種,日蓮宗から天台宗に転じ日蓮宗批判を行った舜統院真超ら同じ志をもつ各宗僧侶と交流し,仏教復興運動の中心となった。正三自身は,三河に帰り千鳥山で修行の後,石平山に庵を構え,32年(寛永9)ここに家康,秀忠の位牌を安置して恩真寺と号し,また各地を巡錫して民衆教化につとめた。…

※「雪窓宗崔」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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