1328年カペー王家の男系が絶えたのを機会に,バロア伯シャルルの息子フィリップが封建会議によって王に選任されてのち,1589年アンリ3世が死去するまで続いたフランス王の家系をいう。バロアはパリ北方,オアーズ川中流のコンピエーニュ森,オートンヌ渓谷を含む土地の名で,カペー家のフィリップ4世の弟シャルルがここを親王領として領したことから家名が出た。1498年バロア本家の男系が絶え,傍系のバロア・オルレアン家のルイ12世が立ったが,次代フランソア1世は,ルイの女婿の家系バロア・アングレーム家から出て,この家系がアンリ3世にいたる。
14世紀に入ってヨーロッパの農業経済にかげりがみえた。生産力と人口の均衡がとれず,世紀半ばの黒死病の災禍がこの不調の傾向を加速した。領主経済の破綻,商人の領地経営への進出,農村・都市における貧富の差の拡大と,社会・経済は動揺し,再編成の季節を迎えている。バロア王家はそういう季節に船出したわけで,おまけにイングランド王家との戦争という重荷を背負っている。
1360年のブレティニー・カレーの和約で,イングランド王家の王位請求はようやく退けはしたが,15世紀に入れば,またもやイングランド王家はフランス戦争を再開する(後期百年戦争)。王家親族諸侯は内紛状態にあり,とりわけフランドル,ネーデルラント方面に家勢を伸張したブルゴーニュ公家は,王国を離脱しようというほどの勢いである。
公私未分の王家財政から戦争会計を切り離し,塩の専売益金(ガベル)など課税の方式をくふうし,職にあぶれた傭兵を王軍に編成するなど,見方によってはその場しのぎの方策を必死に探ったジャン2世や賢王シャルル5世の顧問官たちが,この混乱の世紀に王政の基盤を構築した。シャルル5世の登用した官僚集団は,その後数世代にわたる王家官僚の家系集団をつくったのである。
1420年代,一時英仏連合王家が成立したが,やがて1435年アラスの和に,ブルゴーニュ家との関係を修復したバロア家最後の男子シャルルが王家の立場を回復した。イングランド王家のノルマンディー,ギュイエンヌにおける軍事的支配は50年代に排除され,シャルル7世を継いだルイ11世の代にはブルゴーニュ家も解体して,ブルゴーニュ領ほかアルトアなど,公家支配地が王家の統制下に入った。次のシャルル8世の代に,他の諸侯領もあらかた王家の統制に服したが,ブルターニュ公領の統合は,バロア・アングレーム家の仕事として残された。
農業経済は15世紀後半には回復の兆しをみせ,都市経済の展開と同調した王権は,オルレアン,アングレーム家系の代に,イタリア,地中海方面でオーストリア・ハプスブルク家と覇権を争う。文化史上,イタリア・ルネサンス受容の時代である。16世紀は同時にまた宗教戦争の時代であり,この世紀後半,王権は新旧両派の抗争(ユグノー戦争)の渦中に揺れる。その渦の中から,やがてブルボン家系が次代王朝として浮かび上がってくるのである。
→百年戦争
執筆者:堀越 孝一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
1328年、バロアValois伯シャルルの子フィリップ(6世)が封建会議によって王に選任されてのち、1589年アンリ3世が死去するまで続いたフランス王の家系。1498年にはバロア本家の男系が絶え、傍系のバロア・オルレアン家のルイ12世(在位1498~1515)がたったが、次代フランソア1世(在位1515~47)はルイの女婿であり、バロア・アングレーム家から出て、アンリ3世(在位1574~89)に至る。バロア本家の2世紀間は、百年戦争とその収拾の時代にあたる。イングランド王家とのフランス王位をめぐる対立は1360年のブレチニー・カレーの和約で原理的な解決をみたが、15世紀に入り、再発した両王家間の軍事的抗争の過程で、イングランド・ランカスター王家は、いったんは英仏両王家を兼ねた(ヘンリー6世)。これに対抗したバロア本家のシャルルは、1435年のアラスの和約で最強の抗争相手であったブルゴーニュ公家との関係を修復し、王家の立場を回復した(シャルル7世、在位1422~61)。イングランド王家のノルマンディー、ギエンヌにおける軍事的支配は、1450年代に排除され、シャルル7世を継いだルイ11世(在位1461~83)の代にはブルゴーニュ公家も解体して、公領ほかアルトア等の公家支配地は王家の統制下に入った。次代シャルル8世(在位1483~98)の代に他の諸侯領もあらかた王家の統制に服したが、ブルターニュ公領の統治は、バロア・アングレーム家の時代にまで持ち越された。14世紀以後沈滞をみせた農業経済も15世紀後半には回復の兆しをみせ、オルレアン・アングレーム家系の代に都市経済の展開と同調した王権は、イタリア、地中海方面に進出して、オーストリア・ハプスブルク家と覇を競う。文化史上イタリア・ルネサンス受容の時代であった16世紀は、同時にまた宗教改革の時代であり、この世紀後半、王権は新旧両派の抗争(ユグノー戦争)の渦中に揺れる。その渦のなかから、やがてブルボン家系が次代王朝として浮かび上がってくる。
[堀越孝一]
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