日本大百科全書(ニッポニカ) 「グリーン」の意味・わかりやすい解説
グリーン(Shawn David Green)
ぐりーん
Shawn David Green
(1972― )
アメリカのプロ野球選手(左投左打)。大リーグ(メジャー・リーグ)のトロント・ブルージェイズ、ロサンゼルス・ドジャース、アリゾナ・ダイヤモンドバックス、ニューヨーク・メッツで外野手、一塁手としてプレー。打撃に波があるものの、強力なパワーをもち、1998年から2001年まで4年連続20本塁打以上、20盗塁以上を記録した。
11月10日、イリノイ州デスプレインズで生まれる。タスティン高から1991年、ドラフト1巡目(全体16番目)指名を受けてブルージェイズに入団、2年目の1993年には大リーグへデビューした。その後、1994年は打率3割4分4厘でマイナー・リーグのAAA級で首位打者となり、翌年からブルージェイズでレギュラー、右翼に定着、強肩で鳴らし、守備面で高い評価を受けた。1998年には、ホームラン35本、打点100、盗塁35をマークして、「30本30盗塁」を達成した。1999年にはホームラン42本、打点123で、打率は3割9厘と3割を超え、初のゴールドグラブ賞も受賞した。FA(フリーエージェント)で2000年にドジャースに加入、01年は自己最多のホームラン49本と打点125を記録した。また2002年5月23日のミルウォーキー・ブリュワーズ戦では史上14人目の1試合ホームラン4本を含む19塁打の新記録を樹立、6月14日と15日のアナハイム・エンゼルス(現ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム)戦では大リーグタイ記録となる4打席連続ホームランの離れ技(わざ)も演じた。2004年オフに交換トレードでダイヤモンドバックスに移籍した。2005年は中軸打者としての活躍を期待されたが、ホームラン22本に終わり、06年8月にはパワーの衰えもあってニューヨーク・メッツにマイナー・リーグ投手との交換で移籍。打撃では目だつ活躍はできなかったが、堅い守備でチームのプレーオフ進出に貢献した。
[出村義和]
2007年以降
2007年は130試合に出場。130安打を放ち、通算2000本安打を達成した。しかし、打率こそ2割9分1厘で前年を上回ったものの、ホームランは10本、打点も46にとどまった。
2007年までの通算成績は、出場試合1951、安打2003、打率2割8分3厘、本塁打328、打点1070。獲得したおもなタイトルは、ゴールドグラブ賞1回。
[編集部]
グリーン(Graham Greene)
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Graham Greene
(1904―1991)
イギリスの小説家。ロンドン北西バーカムステッドの生まれ。オックスフォード大学卒業後新聞記者となる。カトリック教徒の婚約者の影響を受けてカトリックに改宗。1929年、密輸業者の世界を背景に暴力と良心の問題を追究する『もう1人の自分』でデビュー、作家生活に入る。彼は現代の政治的動乱の中心地を次々に舞台にしながら、映画やスリラー小説の手法を取り入れた。ベストセラーの『スタンブール特急』(1932)のほか、『ここは戦場だ』(1934)、『英国が私を作った』(1935)、『拳銃(けんじゅう)売ります』(1936)、『恐怖省』(1943)などがこの系列の初期作品。次に38年の野心作『ブライトン・ロック』によって世俗的倫理と宗教的倫理の鋭い対立を描き、現代でもっとも注目されるカトリック作家の一人となる。『権力と栄光』(1940)、『事件の核心』(1948)、『情事の終り』(1951)、『燃えつきた人間』(1960)などが彼の代表作で、罪人こそが真の信仰者であるという宗教的逆説を徹底して展開したため、教会当局との間にしばしば問題を起こした。その後のグリーンはカトリック教義を正面から扱うことがまれになり、世界中の内乱、革命、戦争の地域を舞台に独自の皮肉でペシミスティックな人間観を核にした作品を書くようになった。『おとなしいアメリカ人』(1955)、『ハバナの男』(1958)、『喜劇役者』(1966)、『名誉領事』(1973)、喜劇的な『叔母との旅』(1969)、スパイものの『ヒューマン・ファクター』(1978)、核競争を風刺した『ジュネーブのフィッシャー博士あるいは爆弾パーティー』(1980)など。短編作家としても優れ、ほかに5編の戯曲、自伝的断編『ある種の生涯』(1971)がある。
[海老根宏]
『野崎孝・田中西二郎訳『グレアム・グリーン選集』全15巻(1955・早川書房)』
グリーン(George Green)
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George Green
(1793―1841)
イギリスの数学者。ノッティンガムの製粉屋に生まれ、独学で数学を勉強し、ケンブリッジ大学に入学を許され、1837年学位を授けられた。1839年以降、ケンブリッジのケイウス・カレッジのメンバーとなった。ラプラスの大著『天体力学』を愛読し、これを模範として「数学解析の電磁気学への応用の試論」を発表した。そこで導入した「ポテンシャル関数」は、ガウスがラプラス方程式の解をポテンシャルとよんだことに対比される。また「面積分と線積分との関係」として得た「グリーンの定理」と同じ結果はガウスも得ていたものであった。ところがグリーンの研究成果は、1846年にケルビンがグリーンの試論を『クレレ誌』Crelle's Journalに再録するまで、ガウスを含むドイツ学派に伝わらなかったという。なお、「微分方程式の境界値問題」で基本的な「グリーン関数」はグリーンの業績を顕彰する呼称である。
[吉田耕作]
グリーン(Julien Green)
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Julien Green
(1900―1998)
フランスの小説家。パリで生まれ育つが、両親はアメリカ南部の出身で、そのアングロ・サクソンの血統が彼をフランス文学においては異色の幻想的な作家にし、また、母親譲りのピューリタニズムは彼の人生と文学に決定的な影響を与えた。霊・肉の相克と信仰の苦悶(くもん)、それが日記12巻、自伝4巻を含む彼の全作品に貫通する主題である。1916年カトリックに改宗。修道士を夢みるが、断念。リセ卒業後、軍務につく。19年、渡米しバージニア大学に留学。3年後パリに戻り、初めは短編および評論を書く。『フランスのカトリック信者に対するパンフレット』(1924)で、微温なカトリシズムを激しく攻撃。処女長編『モン・シネール』(1926)に次ぐ『アドリエンヌ・ムジュラ』(1927)でその地位を固める。以後、77年の『悪所』に至るまで12冊の長編、2冊の中・短編を書くが、すべての小説が日記と同じく作者内面の鏡である。『レビアタン』(1929)を頂点とするリアリズムに徹した作品群も、幻想への傾斜を強める中期の傑作『幻を追う人』(1934)や『真夜中』(1936)なども、みな悪夢のように作風は暗い。何度かの宗教的危機を乗り越えた後期の作品も絶望や狂気を描きながら、しかし文体は明澄になり、『モイラ』(1950)や『他者』(1971)のように、救いへのかすかな希望を暗示している。劇作3編もある。ほかにもエッセイ、紀行文など多彩な活動で知られ、83年聖人伝『アシジの聖フランチェスコ』も有名。
[小佐井伸二]
『福永武彦他訳『ジュリアン・グリーン全集』全14巻(1979~83・人文書院)』
グリーン(Aleksandr Stepanovich Grin)
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Александр Степанович Грин/Aleksandr Stepanovich Grin
(1880―1932)
ロシア・ソ連の作家。本名はグリネフスキーГриневский/Grinevskiy。幼少のころから職を転々とし流浪の生活を送り、のち社会革命党に入党、三度の流刑を体験する。1906年『兵士パンテレーエフの手柄』で文壇に登場、ポー、ホフマンらの影響を濃く受けたロマンチックな冒険・幻想小説によって革命前にすでに文名を確立する。架空の国「グリンランド」を舞台に繰り広げられるエキゾチックでファンタスチックな作品は、ソビエト文学史に特異な位置を占め、ときには強い批判にさらされたこともあった。代表作『深紅の帆』(1923)、『輝く世界』(1923)、『荒野の心』(1924)、『波の上を駆ける女』(1928)は、いずれも愛と美、人間性の理想的な姿を深く追求している。ことに『深紅の帆』はオペラや映画にもなり広く知られている。
[安井侑子]
『原卓也訳『深紅の帆』(『少年少女世界の文学22』所収・1967・河出書房)』▽『安井侑子訳『波の上を駆ける女』(『文学のおくりもの7』1972・晶文社)』▽『沼野充義訳『輝く世界』(1972・月刊ペン社・妖精文庫)』
グリーン(Thomas Hill Green)
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Thomas Hill Green
(1836―1882)
イギリス・ヘーゲル学派の哲学者。オックスフォード大学教授。経験論、進化論、自然主義の倫理学を批判して、カントとヘーゲルの影響のもとに、認識の根源として普遍的絶対意識を想定する。批判的自由主義者の立場から、人間の行為が善を志向する「動機」に根ざしていることを強調し、自我実現説を唱えた。また、国家は共同意志に基づく道徳的共同体であると考えることによって、スピノザの克服を目ざした。主著は『倫理学序説』。
[宮下治子 2015年7月21日]
グリーン(Paul Eliot Green)
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Paul Eliot Green
(1894―1981)
アメリカの劇作家。ノース・カロライナ州立大学卒業。母校で哲学、劇作を教え、演劇団体「カロライナ・プレイメイカーズ」にも協力。民俗劇推進者コーク教授門下で、南部の黒人や貧しい白人を題材に、写実から幻想に至る多様な様式のなかに社会的関心と詩情を盛り込む作品を発表。混血の教育者の悲劇『エイブラハムの胸に』(1926。ピュリッツァー賞受賞)、没落豪農一家をめぐる南部の新旧両世代のドラマ『コネリー家』(1931)、反戦悲喜劇『ジョニー・ジョンソン』(1936)などのほか、『失われた移住者たち』(1937)をはじめとするトータル・シアター風の国民的大叙事劇「交響劇」の野外上演を夏ごとに主宰し、地域演劇発展に貢献した。
[森 康尚]
グリーン(Robert Greene)
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Robert Greene
(1558―1592)
イギリスの物語作家、劇作家。ケンブリッジ、オックスフォードの両大学に学んだのち、文筆だけを頼りに生き、放蕩三昧(ほうとうざんまい)の一生を送った。初めおもに伝奇的散文物語を書き、そのなかにはシェークスピアの『冬物語』に原話を堤供した『パンドストー』(1588)などが含まれる。戯曲ではロマンチックな喜劇を得意とし、『僧ベーコンと僧バンゲイ』(1589)など5編がある。彼はまた自伝的文章や世相観察の文章を小冊子で数多く発表している。そのなかの一つ、遺作となった『後悔万両知恵一文』(1592)には、シェークスピアを「他人の羽根毛で飾り立てた成り上がり者のからす」とののしっている箇所がある。
[冨原芳彰]
グリーン(John Richard Green)
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John Richard Green
(1837―1883)
イギリスの歴史家。オックスフォード大学卒業後牧師になったが、肺疾のため辞任し、1869年ランベス宮(カンタベリー大司教邸)図書室司書となり、以後歴史研究に専念した。主著『イギリス国民小史』(1874)は、小史とはいえ1000ページに及ぶ大作で、その生彩に富む叙述により名声を博した。著書はそのほかに『イギリスの成立』(1882)、『イギリス征服』(1883)などがある。
[松村 赳]
『中村祐吉訳『イギリス国民史』(1968・鹿島出版会)』