日本歴史地名大系 「雪見ヶ岡」の解説 雪見ヶ岡ゆきみがおか 富山県:高岡市旧射水郡小矢部川右岸地区下牧野村雪見ヶ岡南北朝時代の興国三年(一三四二)後醍醐天皇の皇子で歌人の宗良親王はひそかに奈呉(なご)浦(現新湊市)の辺りに潜伏して南朝のため尽力した。そのことは親王撰「新葉集」、親王家集「李花集」にも明記され、越中滞在中の羇中百首詠作のことも記される。新湊市に隣接する高岡市下牧野(しもまきの)・上牧野の地をその遺跡地と伝承し、上牧野には文化七年(一八一〇)の「樸館塚」の碑が建ち、海保青陵の撰文を刻む。下牧野には「故さとの人に見せばやたち山の千とせふるてふ雪のあけぼの」「おもひきやいかに越路の牧野なる草のいほりにやどからむとは」など四首を刻んだ歌碑が建つ。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報