日本歴史地名大系 「雲谷庵跡」の解説
雲谷庵跡
うんこくあんあと
之恵鳳が山口に下向した折、雪舟に旧を叙して「寄揚知客并序」と題する詩を寄せている(竹居西
集)。またこれより先、大内家の雑掌松雪軒全果が雪舟のために「雲谷記」を作っているが、恵鳳は雪舟の嘱に応じて「晦庵序」を作った。その末文に「以
晦庵
称退而処
雲谷幽
、今雲谷如
有
慕
藺朱子
者
」とあり、宋の朱熹が廬峰の雲谷に住んで雲谷と号し、その居を晦庵と称したことを述べ、この雲谷は朱子を慕って号を踏襲したとしている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報