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策彦周良 さくげん しゅうりょう

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美術人名辞典の解説

策彦周良

室町後期の臨済宗の僧。京都生。細川氏の家老井上宗信の三男。号は謙斎。鹿苑寺心翁等安の法を嗣ぐ。大内義興の発起する遣明使に参加し多くの珍籍をもたらすなど五山末期の碩学として活躍した。織田信長の嘱を受け岐阜の地名を選し、武田信玄に招かれて甲斐の恵林寺長興寺に数年住した。のち天竜寺妙智院に退隠した。『策彦入明記』の著がある。天正7年(1579)寂、79才。

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デジタル大辞泉の解説

さくげん‐しゅうりょう〔‐シウリヤウ〕【策彦周良】

[1501~1579]室町末期の臨済宗の僧。丹波の人。号、謙斎。明(みん)に2回渡り、日記「初渡集」「再渡集」がある。織田信長武田信玄に信任され、甲斐恵林寺、京都天竜寺に住した。著「南游集」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

策彦周良 さくげん-しゅうりょう

1501-1579 戦国-織豊時代の僧。
文亀(ぶんき)元年4月2日生まれ。臨済(りんざい)宗。心翁等安の法をつぐ。大内義隆の遣明(けんみん)副使,同正使として2度明(中国)にわたる。このときの見聞の記録が「策彦入明記」である。帰国後は京都等持院や甲斐恵林寺住持をつとめ,織田信長や武田信玄の帰依(きえ)をうけた。天正(てんしょう)7年6月30日死去。79歳。俗姓は井上。別号に謙斎。詩集に「謙斎詩集」。

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朝日日本歴史人物事典の解説

策彦周良

没年:天正7.6.30(1579.7.23)
生年:文亀1.4.2(1501.4.19)
戦国時代の臨済宗の僧。謙斎とも称する。細川氏被官井上宗信の3子として生まれ,鹿苑寺心翁等安の弟子となり,天竜寺で剃髪受戒する。同寺内妙智院の第3世となり,天文6(1537)年大内義隆の招きで周防国(山口県)に行き,正使湖心磧鼎のもと遣明船の副使となり,同8年博多を出発し,明に渡り,同10年帰国する。さらに同16年正使として再び入明,同19年帰国した。帰国後,妙智院で隠棲するが,武田信玄の請を受け一時甲斐国(山梨県)に行く。その著『策彦入明記』は当時の外交のみならず明の風俗・文化を知るうえで貴重な記録である。<参考文献>牧田諦亮編『策彦入明記の研究』

(原田正俊)

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世界大百科事典 第2版の解説

さくげんしゅうりょう【策彦周良】

1501‐79(文亀1‐天正7)
戦国時代の臨済宗の禅僧。丹波の生れで,俗姓は井上氏。号は策彦で,怡斎,謙斎,亀陰などとも称した。9歳のとき天竜寺の妙智院で心翁等安について参禅し,その法を継いだ。また漢詩文の研究を行い,文筆僧としての才能は早くから五山文学界で高く評価され,五山文学史上末期の巨匠としてその名を残し,天竜寺から文筆僧が世にでる先駆けともなった。詩文集に《謙斎詩稿》《南遊集》《謙斎雑稿》《城西聯句》などがあり,《策彦和尚初渡集(入明記初渡集)》《策彦和尚再渡集(入明記再渡集)》の両書は,1539年(天文8)遣明副使として,47年正使として入明し,日明外交使節で活躍したときの記録である。

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大辞林 第三版の解説

さくげんしゅうりょう【策彦周良】

1501~1579) 室町末期の禅僧。丹波の人。天竜寺妙智院の住僧。五山文学最後の巨匠。遣明使として二度明に渡る。著「入明日記初渡集」「再渡集」「南遊集」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

策彦周良
さくげんしゅうりょう
(1501―1579)

室町後期の臨済(りんざい)宗夢窓(むそう)派の僧。五山末期の詩文僧。井上宗信(そうしん)の第3子として京都に生まれる。謙斎(けんさい)、怡斎(いさい)などとも称した。9歳のとき鹿苑寺(ろくおんじ)心翁等安(しんのうとうあん)の門に入り、18歳のとき天竜寺において心翁のもとで薙髪(ていはつ)受具、ついで彼の法を嗣(つ)いだ。1539年(天文8)大内義隆(よしたか)に請われ、遣明船(けんみんせん)の副使として入明。47年再度正使として入明した。帰国後、天竜寺妙智院(みょうちいん)に住したが、55年(弘治1)ごろ武田信玄に招かれて甲斐(かい)(山梨県)の恵林寺(えりんじ)に下った。織田信長は策彦に明の風物を尋ね、妙智院に足を運んで親しくその話を聞いた。天正(てんしょう)7年6月30日、79歳で示寂。入明の記録『初度(しょと)集』『再度(さいと)集』のほか、『城西聯句(じょうさいれんく)』『策彦三千句』『策彦詩集』などの詩文集がある。[藤岡大拙]

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