震洋(読み)しんよう

共同通信ニュース用語解説 「震洋」の解説

震洋

1944年8月、旧日本海軍が「特殊兵器」として採用。1人乗りと2人乗りの2種類が製造された。実戦で投入されたのはフィリピンと沖縄での戦闘だけだったが、本州四国の太平洋沿岸や九州、南西諸島を中心に配備。九州・沖縄では佐賀長崎、熊本、宮崎鹿児島、沖縄の6県に部隊が置かれた。作家の島尾敏雄しまお・としお氏や元参院議員の田英夫でん・ひでお氏(いずれも故人)も元隊員。

更新日:

出典 共同通信社 共同通信ニュース用語解説共同通信ニュース用語解説について 情報

関連語 島尾敏雄

世界大百科事典(旧版)内の震洋の言及

【特別攻撃隊】より

…連絡艇とは,水上を航行し敵艦船に衝突自爆するモーターボート。陸軍は〈㋹〉〈㊇〉〈連絡艇〉と呼び,終戦時までに4000隻完成,海軍は同種のものを〈㊃艇〉〈震洋〉と呼び,終戦時までに6200隻を完成させた。この特攻艇で部隊を編成し,陸軍は45年1月,フィリピン北部リンガエン泊地で,海軍は同年2月,コレヒドール島で初めて肉薄攻撃を行った。…

※「震洋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む