霊岸島長崎町一丁目(読み)れいがんじまながさきちよういつちようめ

日本歴史地名大系 「霊岸島長崎町一丁目」の解説

霊岸島長崎町一丁目
れいがんじまながさきちよういつちようめ

[現在地名]中央区新川しんかわ一―二丁目

霊岸島銀れいがんじましろがね町一丁目の南にある。北東から南西に通る道筋に沿った両側町で、南の北西から南東への道の反対側にも町地がある。南は霊岸島銀町四丁目、東は霊岸島銀町三丁目と同四丁目、西は霊岸島長崎町二丁目。もと京橋の北西部、おけ町と鍛冶かじ(南鍛冶町)の間にあった長崎町が明暦の大火後に火除地となり、霊巌れいがん寺が深川へ移転した跡地に代地を給されて起立した。その時期は寛文元年(一六六一)とも同三年ともされる(御府内備考)。明暦三年(一六五七)新添江戸之図には桶町と鍛冶町の間に「なかさき丁」が記されているが、寛文新板江戸絵図では明地になっており、霊巌島に「長さき丁」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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