江戸初期の浄土宗の僧。檀蓮社雄誉(だんれんじゃゆうよ)と号し、字(あざな)は松風(しょうふう)という。駿河(するが)国(静岡県)沼津の今川氏勝(いまがわうじかつ)の三男。下総(しもうさ)(千葉県)生実大巌寺(おゆみだいがんじ)の貞把(ていは)(1515―1575)に師事し、1587年(天正15)同寺3世を継ぐ。数年にして辞し、奈良に上ったが、徳川家康の命により大巌寺に再住し、伽藍(がらん)の整備に努力した。また安房(あわ)、上総(かずさ)(千葉県)に布教して里見義隆(さとみよしたか)、松平家信(まつだいらいえのぶ)(1565―1638)、内藤政長(ないとうまさなが)(1568―1634)らの帰依(きえ)を受け、さらに諸国を遊歴して法を弘(ひろ)め、家康、秀忠(ひでただ)、家光(いえみつ)らに尊信され、後水尾(ごみずのお)天皇にも進講した。また、江戸に霊巌島(中央区)を築いて霊巌寺を建立し、学衆の教育を行った。1629年(寛永6)知恩院(ちおんいん)32世を命じられ、焼失した知恩院を家光の上意を得て再建し、その威容は現在に至っている。在世中、各地に多くの寺を建て、多数の弟子を養成した。著書に『精義集(しょうぎしゅう)』『伝法指南(でんぼうしなん)』などがある。
[阿川文正 2017年10月19日]
(林淳)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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