朝日日本歴史人物事典 「青綺門院」の解説
青綺門院
生年:享保1.8.24(1716.10.9)
江戸中期の后妃。桜町天皇の女御。後桜町天皇の生母。二条吉忠の娘。母は加賀(金沢)藩主前田綱紀の娘利子。名は舎子。桜町天皇の東宮時代に妃に内定し,践祚後に入内して女御となる。盛子内親王(早世),後桜町天皇の2皇女を儲ける。この間に准三宮宣下を受けて准后となる。その後,儲君に定まった桃園天皇の「実母」とされ,ために桃園天皇践祚後に皇太后となる。女御から皇太后に冊立されるのは極めて珍しく,以後の先例となる。桜町天皇没後に女院。宝暦事件や桃園天皇急死後の皇継問題など政治問題の解決に努め,気丈さも窺われる。墓所は京都泉涌寺山内の月輪陵。<参考文献>『皇室制度史料 后妃』5巻
(久保貴子)
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