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青綺門院 せいきもんいん

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

青綺門院 せいきもんいん

1716-1790 江戸時代中期,桜町天皇の女御。
享保(きょうほう)元年8月24日生まれ。二条吉忠(よしただ)の娘。盛子(もりこ)内親王,智子(としこ)内親王(のちの後桜町天皇)を生み,桃園天皇の養母となる。延享4年皇太后。寛延3年院号をうける。大女院とよばれた。寛政2年1月29日死去。75歳。名は舎子(いえこ)。

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(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

青綺門院

没年:寛政2.1.29(1790.3.14)
生年:享保1.8.24(1716.10.9)
江戸中期の后妃。桜町天皇の女御。後桜町天皇の生母。二条吉忠の娘。母は加賀(金沢)藩主前田綱紀の娘利子。名は舎子。桜町天皇の東宮時代に妃に内定し,践祚後に入内して女御となる。盛子内親王(早世),後桜町天皇の2皇女を儲ける。この間に准三宮宣下を受けて准后となる。その後,儲君に定まった桃園天皇の「実母」とされ,ために桃園天皇践祚後に皇太后となる。女御から皇太后に冊立されるのは極めて珍しく,以後の先例となる。桜町天皇没後に女院。宝暦事件や桃園天皇急死後の皇継問題など政治問題の解決に努め,気丈さも窺われる。墓所は京都泉涌寺山内の月輪陵。<参考文献>『皇室制度史料 后妃』5巻

(久保貴子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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