後桜町天皇(読み)ゴサクラマチテンノウ

デジタル大辞泉 「後桜町天皇」の意味・読み・例文・類語

ごさくらまち‐てんのう〔‐テンワウ〕【後桜町天皇】

[1740~1813]第117代天皇女帝在位1762~1771。桜町天皇の第2皇女。名は智子としこ和歌好み御製千数百首があり、他に日記41冊、「禁中年中の事」などを著した。

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精選版 日本国語大辞典 「後桜町天皇」の意味・読み・例文・類語

ごさくらまち‐てんのう‥テンワウ【後桜町天皇】

  1. 第一一七代天皇。桜町天皇の第二皇女。母は青綺門院舎子。名は智子(としこ)。幼称以茶宮(いさのみや)、のち緋宮(あけのみや)宝暦一二年(一七六二践祚(せんそ)。在位九年。皇位を継ぐべき後桃園天皇がまだ幼少であったので、明正天皇故事にならって践祚したもの。元文五~文化一〇年(一七四〇‐一八一三

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改訂新版 世界大百科事典 「後桜町天皇」の意味・わかりやすい解説

後桜町天皇 (ごさくらまちてんのう)
生没年:1740-1813(元文5-文化10)

第117代に数えられる天皇。在位1762-70年。桜町天皇の第2皇女。名は智子(としこ)。1762年(宝暦12)桃園天皇死去の際,後嗣英仁親王(後桃園天皇)が幼少なため代わって践祚,70年(明和7)同親王に譲位。最後の女帝である。後桃園,光格両天皇の年少時その輔導につとめ,また漢学を好み,和歌にもたんのうで千数百首が伝えられる。なお宝暦~安永年間の日記41冊が伝存する。陵墓は京都月輪陵
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「後桜町天皇」の解説

後桜町天皇 ごさくらまちてんのう

1740-1813 江戸時代中期,第117代天皇。在位1762-71*。
元文5年8月3日生まれ。桜町天皇の第2皇女。母は藤原舎子(いえこ)(青綺門院)。桃園天皇の異母姉。桃園天皇の死後,皇嗣英仁(ひでひと)親王(のちの後桃園天皇)が幼少だったため皇位をついだ。最後の女帝。在位中,幕府による尊王家弾圧の明和事件がおきた。譲位後は後桃園・光格の2天皇を訓育。和歌や漢学をこのんだ。文化10年閏(うるう)11月2日死去。74歳。墓所は月輪陵(つきのわのみささぎ)(京都市東山区)。幼称は以茶(いさの)宮,緋(あけの)宮。諱(いみな)は智子(としこ)。著作に「禁中年中の事」「後桜町院宸記(しんき)」など。
格言など】やはらぐる春たつ今日に吹く風は民の草葉にまづおよぶらし(内裏和歌御会)

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朝日日本歴史人物事典 「後桜町天皇」の解説

後桜町天皇

没年:文化10.閏11.2(1813.12.24)
生年:元文5.8.3(1740.9.23)
江戸中期の天皇。宝暦12(1762)~明和7(1770)年在位。桜町天皇の第2皇女。以茶宮,のちに緋宮。母は二条吉忠の娘舎子(青綺門院)。諱は智子。宝暦12(1762)年7月桃園天皇崩御に際し,儲君英仁親王が幼少のため代わって同月27日践祚,翌13年11月即位。最後の女帝となる。漢学,歌道を好み,仮名文による『禁中年中の事』『古今伝授の御記』,歌集『後桜町天皇御製』がある。宝暦6年から25年間の自筆日記『後桜町院宸記』が東山御文庫に伝存。明和7(1770)年11月譲位。陵墓は京都泉涌 寺内の月輪陵。<参考文献>辻達也編『日本の近世2』,和田英松『皇室御撰之研究』

(母利美和)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「後桜町天皇」の意味・わかりやすい解説

後桜町天皇
ごさくらまちてんのう
(1740―1813)

第117代天皇(在位1762~70)。日本最後の女帝。名は智子(としこ)。幼称は以茶宮(いさのみや)、のち緋宮(あけのみや)。桜町天皇の第2皇女。母は皇太后舎子(いえこ)(青綺門院(せいきもんいん))。元文(げんぶん)5年8月3日降誕。1762年(宝暦12)桃園(ももぞの)天皇没後、皇嗣(こうし)幼少のため7月27日践祚(せんそ)、翌年11月27日即位。70年(明和7)11月後桃園(ごももぞの)天皇に譲位。文化10年閏(うるう)11月2日崩御。京都・泉涌寺(せんにゅうじ)月輪(つきのわ)陵に葬る。日記41冊、『禁中年中の事』の著書がある。

[高木昭作]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「後桜町天皇」の意味・わかりやすい解説

後桜町天皇
ごさくらまちてんのう

[生]元文5(1740).8.3. 京都
[没]文化10(1813).閏11.2/3. 京都
第 117代の天皇 (在位 1762~70) 。女帝。名は智子 (としこ) ,幼称は以茶宮 (いさのみや) ,のち緋宮 (あけのみや) 。桜町天皇の第2皇女。母は尊称皇太后青綺門院藤原舎子 (いえこ) 。桃園天皇崩御後,皇嗣幼少のため宝暦 12 (62) 年践祚,翌年即位。陵墓は京都市東山区今熊野の月輪陵。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「後桜町天皇」の解説

後桜町天皇
ごさくらまちてんのう

1740.8.3~1813.閏11.2

在位1762.7.27~70.11.24

江戸時代最後の女帝。桜町天皇の第2皇女。名は智子(としこ)。母は関白二条吉忠の女皇太后舎子(いえこ)(青綺門院)。1750年(寛延3)内親王宣下。62年(宝暦12)弟の桃園天皇死去の際,儲君英仁親王(後桃園天皇)成長までの中継ぎとして践祚。学問を好み,69年有栖川宮職仁(よりひと)親王から古今伝授をうける。日記「後桜町院宸記」。

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367日誕生日大事典 「後桜町天皇」の解説

後桜町天皇 (ごさくらまちてんのう)

生年月日:1740年8月3日
江戸時代中期;後期の第117代の天皇
1813年没

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世界大百科事典(旧版)内の後桜町天皇の言及

【女帝】より

…これらの天皇の出現は,天皇家の内部事情や藤原氏あるいは僧道鏡の政治的野心によると考えられる。9世紀以後はながく女帝の即位はなかったが,江戸時代に明正天皇(在位1629‐43),後桜町天皇(在位1762‐70)の2人の女帝が現れた。明正は父の後水尾天皇が突然退位したため,後桜町は兄の桃園天皇が急逝したためである。…

※「後桜町天皇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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