日本歴史地名大系 「青菅村」の解説 青菅村あおすげむら 千葉県:佐倉市青菅村[現在地名]佐倉市青菅・宮(みや)ノ台(だい)一―四丁目印旛(いんば)沼の南西、小竹(おだけ)村の北西に位置。北は先崎(まつさき)村。元和三年(一六一七)五月二六日の知行宛行状に葛飾(かつしか)郡のうちとして村名がみえ、飯重(いいじゆう)村・畔田(あぜた)村、下高野(しもこうや)村(現八千代市)および当村の八四七石余など都合二千石が旗本河口(川口)領となっている。元禄一一年(一六九八)まで同氏領で、葛飾郡に属したという。当村には川口氏の陣屋が置かれた。承応二年(一六五三)の田畑改帳(設楽家文書)によると田一〇町九反余・畑屋敷二町五反余、名請人数一一。元禄一三年頃の下総国各村級分には印旛郡として村名がみえ、高一四一石余、佐倉藩領。以後幕末まで同藩領。寛延二年(一七四九)の佐倉藩領村高覚では高一四五石余、夫役永四二五文余・野銭永一八〇文・同八八〇文・山銭鐚四貫七三八文。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by