日本歴史地名大系 「面山城跡」の解説 面山城跡めんさんじようあと 広島県:高田郡高宮町佐々部村面山城跡[現在地名]高宮町佐々部 竹部迫佐々部(ささべ)の西部、字竹部迫(たけべさこ)にあり、「高田郡村々覚書」に「志部府之内免山ノ古城山 高サ弐丁五拾間、横三丁、只今ハ草山、城主ハ毛利陸奥守元就公御旗下佐々部若狭守殿、当村不残御知行、其後此城にくちなわ大分わき御在城難成候而其麓土居と申屋敷江御移」とある。佐々部氏は代々石見阿須那(あすな)(現島根県邑智郡羽須美村)の高橋氏に仕えており、佐々部播磨守承世は高橋大九郎興光の娘を妻としていた。大永六年(一五二六)正月一一日付の承世から孫宮千代丸(祐賢)に与えた書状(「閥閲録」所収山内源右衛門家文書)に「佐々部兵部少輔(通祐)を、子候式部少輔(光祐)雲州尼子と申あわせ生涯(害)させ候、然者祖父にて候播磨守、式部少輔追捨候て、弐番子候宮千代丸を当家に相定候、ささへ三ケ村、同のへしき候、他之さまたけなく知行あるへく候」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by