高宮町
たかみやちよう
面積:一二四・四〇平方キロ
高田郡の北端に位置し、北西は島根県邑智郡、北東は江の川を境に双三郡に接する。町域は山間地帯で、北部には中国山脈が東西に走り、北西には犬伏山系の熊谷山(五一二・二メートル)がそびえ、その南側を生田川など江の川の支流が東流する。江の川に沿って三次と島根県江津を結ぶ国鉄三江線が走り、中国自動車道が町の南方を横断する。
明治二二年(一八八九)町村制施行により船木など四ヵ村が船佐村、原田・来女木両村が来原村となったが、川根村は地理的にそのまま存続した。
高宮町
たかみやちよう
東西に通る現御池通に南面する片側町。東を高倉通(旧高倉小路)、中央を間之町通が南北に通る。
平安京の条坊では、町の北側は左京三条四坊一保二町南、南側は同二保三町北にあたる。平安中期以降は三条坊門高倉小路の西にあたる。平安時代、町の北側は、中宮大進平生昌の邸であった竹三条の地にあたる(拾芥抄)。
町名は、寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「高宮丁」とあり、以降変化はない。「坊目誌」には「始め能場町と云ふ、寛永の頃、近江国高宮産の綿布を販く市場ありしより改称す」とある。
高宮町
たかみやちよう
下京区三ノ宮町通上ノ口下ル
南北に通る三ノ宮町通を挟む両側町。
平安京の条坊では、左京七条四坊四保一五町西側の地にあたる。町域は平安時代の左大臣源融の別荘河原院の一部にあたる(拾芥抄)。
寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「高宮丁」とみえる。
高宮町
たかみやちよう
南北に通る富小路通を挟む両側町。
平安京の条坊では、左京四条四坊三保一一町中央部。
町名は、寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「高宮町」とあり、以後変化はない。当町には山椒屋(京雀跡追)、両替商(京羽二重織留)などが居住していた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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