日本歴史地名大系 「革堂町」の解説 革堂町こうどうちよう 京都市:上京区小川学区革堂町上京区小川通一条上ル町の中央を南北に小川(おがわ)通が通る。北は武者小路(むしやこうじ)通。一一世紀初頭に草創された革堂行願(ぎようがん)寺が天正一八年(一五九〇)までこの地にあった(中京区の→行願寺)。中古京師内外地図に「カウダウ」、中昔京師地図に「革堂」とある。寛永一四年(一六三七)洛中絵図には「西革堂町」、寛永一八年以前平安城町並図には「かゝ殿丁」、寛文五年(一六六五)刊「京雀」には「みずの屋加賀殿町」、寛文後期洛中洛外之絵図には「かう堂町」、宝暦一二年(一七六二)刊の「京町鑑」には「革堂之町」と記される。 革堂町こうどうちよう 京都市:上京区嘉楽学区革堂町上京区元誓願寺通浄福寺西入東西に通る元誓願寺(もとせいがんじ)通の両側町。寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「かうど丁」とみえる。承応二年(一六五三)新改洛陽並洛外之図や寛文五年(一六六五)刊「京雀」には、東隣の今出川(いまでがわ)町と西隣の元四丁目(もとよんちようめ)との間にあるべき当町の記載がない。宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」に至って「革堂町」と記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by