寄席(よせ)において日本の音楽、とくに三味線を用いて唄(うた)の芸を披露する芸人。文政(ぶんせい)(1818~30)のころには、端唄(はうた)、よしこの節、潮来(いたこ)節がよく歌われたが、天保(てんぽう)(1830~44)のころ都々一坊扇歌(どどいつぼうせんか)が都々逸(どどいつ)を寄席演芸として成功させた。音曲師は、東京の寄席の出演順番では、おおむね膝替(ひざがわ)り(真打ちのすぐ前に出る芸人)として登場する。音曲師は、近代に入っても上方(かみがた)より東京のほうが伝統を守り、その数も多い。近年では柳家小半治、橘家(たちばなや)米蔵、柳家三亀松(みきまつ)、春風亭枝雀(しじゃく)などがよく知られた。
[関山和夫]
…寛政(1789‐1801)末ごろ,初代船遊亭扇橋のはじめた音曲噺(おんぎよくばなし)は,落語の間に下座(げざ)の三味線に合わせて歌をうたったもの。その後これに似せて俗曲や流行歌(はやりうた)をうたって人気を博したものを音曲師といった。また寄席で演奏される音楽芸を〈音曲吹き寄せ〉と称し明治時代に流行した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」