柳家 三亀松
ヤナギヤ ミキマツ
- 職業
- 漫談家
- 本名
- 伊藤 亀太郎
- 別名
- 前名=桜川 木場平,寿 五六,揚羽家 二三平,湊家 亀松
- 生年月日
- 明治34年 9月1日
- 出身地
- 東京・深川木場
- 経歴
- 深川木場の材木商の息子。小学校卒業後、材木問屋の小僧となるが、芸事が好きで大正7年桜川梅平に入門、桜川木場平と称し幇間となる。12年湊家亀松と名乗って寄席芸人となる。14年柳家三語楼に入門、三亀松となる。艶笑風の歌謡漫談で人気を得、なかでも「新婚熱海の一夜」は発禁処分になり話題となる。昭和3年吉本興業の専属となり、以後は東京のみならず上方でも評判をとり、戦後は東京演芸協会、東京ボーイズ協会の会長をつとめるなど昭和期演芸界の第一人者として貢献した。著書に「御存じ三亀松色ざんげ」がある。
- 受賞
- 芸術祭奨励賞〔昭和40年〕
- 没年月日
- 昭和43年 1月20日 (1968年)
- 伝記
- 高座奇人伝わが愛しの芸人たち浮かれ三亀松 小島 貞二 著吉川 潮 著吉川 潮 著(発行元 筑摩書房河出書房新社新潮社 ’09’03’00発行)
柳家 三亀松(2代目)
ヤナギヤ ミキマツ
- 肩書
- 寄席音曲師
- 本名
- 町田 武(マチダ タケシ)
- 別名
- 前名=柳家 亀松(ヤナギヤ カメマツ)
- 生年月日
- 大正11年 2月22日
- 出身地
- 東京
- 経歴
- 父は中国奇術の趙相元。7歳頃から父とともに高座に出る。昭和29年初代三亀松門下で亀松を名乗る。55年2代目を襲名。都々逸や曲弾き、浮世節たぬきなどのネタで活躍。
- 没年月日
- 平成10年 8月19日 (1998年)
- 家族
- 長男=柳家 亀太郎(音曲師),父=趙 相元(中国奇術師)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
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柳家 三亀松
ヤナギヤ ミキマツ
大正・昭和期の漫談家
- 生年
- 明治34(1901)年9月1日
- 没年
- 昭和43(1968)年1月20日
- 出身地
- 東京・深川木場
- 本名
- 伊藤 亀太郎
- 別名
- 前名=桜川 木場平,寿 五六,揚羽家 二三平,湊家 亀松
- 主な受賞名〔年〕
- 芸術祭奨励賞〔昭和40年〕
- 経歴
- 深川木場の材木商の息子。小学校卒業後、材木問屋の小僧となるが、芸事が好きで大正7年桜川梅平に入門、桜川木場平と称し幇間となる。12年湊家亀松と名乗って寄席芸人となる。14年柳家三語楼に入門、三亀松となる。艶笑風の歌謡漫談で人気を得、なかでも「新婚熱海の一夜」は発禁処分になり話題となる。昭和3年吉本興業の専属となり、以後は東京のみならず上方でも評判をとり、戦後は東京演芸協会、東京ボーイズ協会の会長をつとめるなど昭和期演芸界の第一人者として貢献した。著書に「御存じ三亀松色ざんげ」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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柳家三亀松
やなぎやみきまつ
(1901―1968)
演芸家。本名伊藤亀太郎。東京・深川に生まれる。木場(きば)人足など職業を転々としながら清元(きよもと)を習い、幇間(ほうかん)となり、のち落語家の柳家三語楼に弟子入りして三亀松を名のる。三味線を手に都々逸(どどいつ)、新内(しんない)を交えての艶笑(えんしょう)風の漫談を開発、その退廃性のゆえに第二次世界大戦中は弾圧されたが、戦後復活、渋いのどと粋(いき)な語りで一世を風靡(ふうび)した。芸術祭奨励賞受賞。
[向井爽也]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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柳家三亀松 やなぎや-みきまつ
1901-1968 大正-昭和時代の漫談家。
明治34年9月1日生まれ。初代柳家三語楼の門下。新内,都々逸(どどいつ),声色(こわいろ),物まね,形態模写をとりいれた艶笑(えんしょう)漫談を三味線の爪(つま)弾きにのせてかたる独自の芸風で評判をえた。昭和40年芸術祭奨励賞。昭和43年1月20日死去。66歳。東京出身。本名は伊藤亀太郎。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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柳家 三亀松(初代) (やなぎや みきまつ)
生年月日:1901年9月1日
大正時代;昭和時代の漫談家。東京演芸協会会長;東京ボーイズ協会会長
1968年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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