音羽町八丁目(読み)おとわちようはつちようめ

日本歴史地名大系 「音羽町八丁目」の解説

音羽町八丁目
おとわちようはつちようめ

[現在地名]文京区音羽一丁目

音羽町七丁目の南に位置し、南は音羽町九丁目。西は護国寺領畑地を隔てて賄方組屋敷洞雲とううん寺境内、東は賄方組屋敷・田中たなか八幡宮町立て以前は関口せきぐち村の耕地であったかと思われる。町屋は長さが南北四八間余、幅は町内往来道幅を除き東西二八間。ほかに南に離れて、九丁目西側の裏手に南北の長さが四〇間、東西幅五間ほどの飛地があり、飛地の北は小日向川添こびなたかわぞえ屋敷の飛地、西は大泉だいせん寺境内、南は桜木さくらぎ町であった(御府内備考)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む