頃藤村(読み)ころふじむら

日本歴史地名大系 「頃藤村」の解説

頃藤村
ころふじむら

[現在地名]大子町頃藤

男体なんたい山の西にあり、村の中ほどを久慈川が南流する。北は袋田ふくろだ村と下津原しもつばら村。応永三一年(一四二四)の結城氏朝証状(上郷丹治美津氏蔵)に「奥州依上保比冨士村」とみえ、寛永一二年(一六三五)水戸領郷高帳先高には「比藤村」とあり、同二一年の御知行割郷帳によると松平善四郎ら三人の給地であった。天保郷帳に「頃藤村」と記される。「新編常陸国誌」によると天保一三年(一八四二)村内の一部が大沢おおさわ村に編入され、検地の結果田畠一六二町余・分米一千二三七石余、新田田畠三町余・分米二五石余。

久慈川西の山麓台地のたての地に館跡があり、土地では小川城跡とよぶ。「水府志料」に「何れの頃にや山田右近大夫道定といふ者居といへり。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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