日本歴史地名大系 「頓田村」の解説 頓田村とんたむら 福岡県:甘木市頓田村[現在地名]甘木市頓田古賀(こが)村の西、小石原(こいしわら)川と佐田(さだ)川との間に発達した台地に位置する。「とんだ」ともよんだ(地理全誌)。下座(げざ)郡に属し、西は来春(らいは)村、北は堤(つつみ)村。同村との境を日田街道が東西に走る。福岡藩成立後は同藩領、元和九年(一六二三)支藩の秋月藩が成立すると同藩領に転じたが、寛永一三年(一六三六)の御内証替によって福岡藩領に復した。小早川時代の指出前之帳では頓田村の田三町六反余(分米二九石余)・畠七町九反余(分大豆四一石余)。慶長七年(一六〇二)の検地高二六五石余、うち大豆一三五石余(慶長石高帳)。元禄五年(一六九二)には同じく高二八一石余、反別は三一町四反余、家数一一・社一、人数五五(田圃志)。 頓田村とんだむら 福岡県:北九州市(旧筑前域)若松区頓田村[現在地名]若松区頓田・畠田(はたけだ)三丁目など畠田村・小竹(おだけ)村の西に位置する。村域は南北に細長く、北は海(響灘)に面し、南は江(え)川に画される。江川を境に南は本城(ほんじよう)村御開(おひらき)(現八幡西区)。集落は本村および内平(うちびら)・初日(しよにち)・草場(くさば)の合せて四ヵ所(続風土記拾遺)。小早川時代の指出前之帳では西郷(さいごう)村の枝郷として扱われ、同村に含まれて高付された。慶長七年(一六〇二)の検地高七一八石余、うち大豆七六石余(慶長石高帳)。元禄五年(一六九二)には高五〇七石余・反別四四町二反余、家数三三・人数三〇四(田圃志)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報