日本歴史地名大系 「畠田村」の解説
畠田村
はたけだむら
王寺村南にあり、尼寺・
享保九年(一七二四)の和州御領郷鑑(柳沢文庫)によると段別六三町二段五畝八歩、家数一三九、人数六五四(男三二〇、女三三四)、牛二五、木挽一、酒屋一、商人四(油屋・木綿屋・絣屋・味噌売各一)。安政二年(一八五五)の諸商売人并諸職人取調名前書上帳(畠田の池田家文書)によると質屋商三、古手屋商四、荒物商一、合薬屋三、煮売茶屋二、旅籠屋二、くだ物店売一、大工一、瀬戸物荷売一、竹荷売二、くだ物出売三、みかん荷売三、かざり葉売一、牛博苦労三、左官一、米仲買一、綿打職一、杣株四とかなりの在郷商人らがいた。
畠田村
はたけだむら
畠田村
はたけだむら
- 岡山県:備前市
- 畠田村
山陽道筋
慶長一八年(一六一三)和気郡御勘定帳に村名がみえ、物成四〇九石余・夫米二四石余。寛永五年(一六二八)の検地では朱印高八一七石余のほか改出高八三石余(貞享元年「和気郡高目録」池田家文庫)。享保六年(一七二一)には田畠四九町六反余、家数七八・人数三八一、池二ヵ所があった(備陽記)。
畠田村
はたけだむら
畠田村
はたけだむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報