頡利可汗(読み)けつりかがん(その他表記)Jie-li Ke-han; Chieh-li K`o-han

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「頡利可汗」の意味・わかりやすい解説

頡利可汗
けつりかがん
Jie-li Ke-han; Chieh-li K`o-han

[生]?
[没]634
突厥カガン (在位 620~630) 。「国を保有した可汗」の意。治世の初期には突厥は強盛で,建国後まもないを圧迫したが,ソグド人を重く用いた恨みと相次ぐ天災のため,支配下の諸部族が反乱を起した。頡利は,北モンゴル高原に独立した薛延陀 (せつえんだ) 部と唐軍との挟撃を受けて,唐軍の捕虜となり,東突厥の国家は一時瓦解 (630) 。これ以前の突厥の国家を,普通,突厥第一帝国と呼ぶ。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む