頡利可汗(読み)けつりかがん(その他表記)Jie-li Ke-han; Chieh-li K`o-han

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「頡利可汗」の意味・わかりやすい解説

頡利可汗
けつりかがん
Jie-li Ke-han; Chieh-li K`o-han

[生]?
[没]634
突厥カガン (在位 620~630) 。「国を保有した可汗」の意。治世の初期には突厥は強盛で,建国後まもないを圧迫したが,ソグド人を重く用いた恨みと相次ぐ天災のため,支配下の諸部族が反乱を起した。頡利は,北モンゴル高原に独立した薛延陀 (せつえんだ) 部と唐軍との挟撃を受けて,唐軍の捕虜となり,東突厥の国家は一時瓦解 (630) 。これ以前の突厥の国家を,普通,突厥第一帝国と呼ぶ。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む