アブーバクル(英語表記)Abū Bakr

デジタル大辞泉 「アブーバクル」の意味・読み・例文・類語

アブー‐バクル(Abū Bakr)

[573ころ~634]イスラム教の初代正統カリフ在位632~634。預言者ムハンマド没後の教団分裂の危機を乗り切り、のちの発展基礎をつくった。

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改訂新版 世界大百科事典 「アブーバクル」の意味・わかりやすい解説

アブー・バクル
Abū Bakr
生没年:573ころ-634

イスラムの初代正統カリフ。在位632-634年。クライシュ族のタイム家出身。メッカ中流商人で,おそらく預言者ムハンマドの古くからの友人であった。ムハンマドが初めて神の啓示を受けた直後からの最も古い信徒の一人である。メッカ時代の信徒の中には,彼の影響で信徒となった者が多いと伝えられている。ヒジュラの後では,政治家としても行動したムハンマドのよき補佐役であった。アラブ諸部族の系図に精通していたといわれる。ムハンマド生存中から巡礼の指揮をとるなど,しばしばその代行の役を果たし,ムハンマドの死の翌日,イスラム教団国家の初代カリフに選出された。カリフ位に就任直後,軍をアラビア半島内の各地に派遣して,蜂起した反イスラム勢力(リッダ)を破り,同時にイラクシリアの征服事業に着手した。記録にあるかぎりでは,4人の妻との間に3男3女があり,ムハンマドの愛妻アーイシャは次女である。
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アブー・バクル
Sayyid Abu Bakr
生没年:?-1480ころ

フィリピン南部にあったスールー王国の初代スルタン。公式の名はスルタン・シャリフ・ウル・ハシムSultan Sharif ul-Hashim。スールーに残されている系図録(タルシラ)によれば,彼はスマトラ島パレンバンから来たアラブで,スールーの中心であるホロ島の有力首長ラジャ・バギンダの娘パラミスリと結婚して,義父の政治的地位を継承するとともに,イスラムの教えを体系化して住民の改宗につとめた。その結果彼は,ホロ島の首長たちを政治的にも宗教的にも支配する,スルタンとしての地位を確立した。在位期間は1450年ころから80年ころまでと推定される。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アブーバクル」の意味・わかりやすい解説

アブー・バクル
あぶーばくる
Abū Bakr
(573ころ―634)

イスラムの第1代正統カリフ(在位632~634)。メッカのクライシュ人のタイム家に生まれ、イスラム教の成立した最初期にムスリムイスラム教徒)になり、ムハンマド(マホメット)の右腕として教団国家の確立に貢献。ムハンマド亡きあとカリフに選出されるや、アラブ諸族の反乱(リッダ)を武力鎮圧し、633年イラクとシリアに諸軍団を派遣して大征服を開始した。ムハンマドの妻の1人アーイシャは彼の娘。

[花田宇秋]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アブーバクル」の意味・わかりやすい解説

アブー・バクル
Abū Bakr

[生]573頃.メッカ
[没]634.8.23. メジナ
イスラム国家の初代カリフ (在位 632~634) 。メッカのクライシ族タイム家の生れ。メッカの中流の商人で,早くからイスラムに帰依し,友人としてまた熱心な信者として預言者ムハンマドを助け,またアラブの系図に関する該博な知識をもとに政治上の助言を与えて,信者の間で重きをなしていた。ムハンマドの在世中から巡礼や礼拝の際にしばしば彼の代理の役割を果し,彼の死後カリフに選ばれた。在位期間は2年余にすぎなかったが,その間に離反したアラブ諸族を討ってアラビア半島を再統一し,半島外の征服活動にも着手して,イスラム社会の大発展の基礎をつくった。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「アブーバクル」の解説

アブー・バクル
‘Abū Bakr

573?~634(在位632~634)

初代正統カリフ。預言者ムハンマドの腹心であり,その妻アーイシャの父。クライシュ族の商人であり,きわめて初期に改宗した。メッカで迫害を受け,のちムハンマドのヒジュラに同行。ムハンマドの死後,その後継者に選出され「預言者の代理人(カリフ)」を称した。また離反したアラビア半島の諸部族を征服し,イスラーム共同体の統一を成しとげ,大征服の端緒を切った。

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旺文社世界史事典 三訂版 「アブーバクル」の解説

アブー=バクル
Abū Bakr al-Ṣiddīq

573ごろ〜634
初代正統カリフ(在位632〜634)
クライシュ族出身。メッカの商人でムハンマドの友人。ムハンマドの妻アーイシャの父。カリフとして,イラク・シリア征服を開始し,ビザンツ帝国・ササン朝と対立した。

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世界大百科事典(旧版)内のアブーバクルの言及

【アラビア半島】より

…632年にムハンマドが没すると,遊牧民と小君主のあるものはザカートを支払わず,偽預言者とよばれるものの活動もあった。初代カリフのアブー・バクルが偽預言者を討伐すると,彼らもザカートの支払を再開し,それまでムハンマドと盟約を結んでいなかった集団も次々にメディナのカリフの権威に従い,アブー・バクルはこのような遊牧民の動向を見守りながらアラブの大征服に乗り出した。 第4代カリフのアリーがラクダの戦に勝ってそのままクーファに居を構え(656),ムアーウィヤがダマスクスによってウマイヤ朝を開く(661)に及び,帝国内におけるアラビア半島の政治的・経済的・戦略的意義は失われ,カリフの任命する複数の総督によって分割統治された。…

【イスラム】より

…かつて欧米ではモハメッド教,マホメット教Mohammedanism,中国で清真教,回回教,回教,日本でも回教と呼ばれたことがあるが,正しい呼称ではないために現在ではほとんど用いられなくなっている。
[拡大するイスラム]
 610年にメッカでムハンマド(日本ではしばしばマホメットと呼ばれる)がイスラムを創唱したとき,その教えを信じてムスリムとなったのは,妻ハディージャ,いとこのアリー,友人アブー・バクルなどわずか数人にすぎなかった。622年のメディナへのヒジュラのとき,同行したムスリムは70人余りであった。…

※「アブーバクル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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