…明治初年,まず名画を模したものが紹介され,中期の欧化主義時代から流行,初めは外国人の手によったが,1903年教育家下田歌子が実践女学校創立のため開催した水交社(海軍将校の社交団体)の園遊会で余興に試みてから,女学校や小学校の学芸会などに流行した。また1948年,第2次世界大戦後の東京の帝都座などに,〈額縁ショー〉と称する裸体活人画が生まれて一時流行し,のちのストリップショーの先駆となった。歌舞伎のだんまりの中の見得(みえ)や幕切れの絵面(えめん)の見得,ゴーゴリの風刺喜劇《検察官》の突然の静止による最終場面なども広義の活人画といえよう。…
… 日本のストリップショーは,第2次大戦後,1947年に東京新宿の帝都座五階劇場で上演された秦豊吉の製作による〈名画アルバム〉がはじめであった。舞台に大きな額縁をつくり,その中に上半身を裸にしたモデルがポーズをとり,わずかの時間だけ幕を開くというもので,額縁ショーともいわれた。やはりはじめは,動くとわいせつとされていたのである。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」