デジタル大辞泉 「額縁」の意味・読み・例文・類語
がく‐ぶち【額縁】
2 窓・出入り口などの周囲につける飾りの木枠。
3 劇場の舞台の上下左右の区切り。
4 掛け布団の表地の周りにつけた額縁のようなへり。
絵画を鑑賞しやすくし,またその保護と装飾を兼ねて用いられる調度品。英語ではフレームframe,フランス語でカードルcadreという。主として西洋画に用いられるが,広義には,東洋の絵画や書などを掲げる際の同種のものも含まれる(扁額,掛物)。
額縁の形式はさまざまであるが,原則的には,画面を一定の幅の枠で縁取る形をとる。これによって作品とそれを掛ける壁面とを視覚的に切り離し,作品を鑑賞しやすくする一方,作品と壁面とを適度に調和させる役割も担うのである。このため,額縁の形式は,作品の性格と壁面の状況との双方を考慮して選定されるのが常である。額縁の構造は,絵画を保持するための,一定の幅をもった棒材による枠組みを基本とし,しばしば前面にガラス,アクリルなどの透明板をはめ,背面に薄板を張る。壁に掛けるためには,ヒートンなどの金具をつけ,丈夫な紐や針金でつるすか,直接,釘に掛ける。額縁の装飾には,枠材に彫刻を施したり,金箔その他で加彩したり,枠材の平らな面に布を貼ったりする。また,彫刻的な部分を石膏型取りによって作り,枠材に貼りつけ,表面を金箔で覆うこともよく行われる。枠に用いられる素材は,木が最も多く,青銅,アルミ合金,ステンレス,プラスチックなども活用される。
額縁の起源については明らかではないが,建築壁面や家具などの表面に描かれた絵を,一定の幅の枠組みでかこむことは,古くから行われており,これが額縁を伴った絵画に発展した可能性は十分にある。また,すでに古代ギリシアでは,壁面や家具の一部ではなく独立した絵画作品の存在が知られており,たとえば神像などが描かれた場合に一種の額縁が用いられたことも想像される。ヘレニズム期のポンペイの壁画のなかに,実際の額縁を思わせるような周辺装飾を描いた作例がある。
キリスト教の隆盛に伴って,中世のヨーロッパでは,多くの祭壇画や聖画像(イコン)が描かれたが,それらの中には,今日の額縁を思わせる縁取りをもつものが少なくない。多くは,パネルと周縁部が一体となっており,厚い板の縁を枠状に残し,彫り下げた中央部分に主像を描く形式をとるものもある。これらの作品は,周縁部を含めて全体に金箔で覆われ,そこに絵が描かれるので,外観は,金地の絵を鍍金額縁に入れたのと変わらない。この種の装飾枠は,教会堂建築の細部,たとえば列柱やアーチ,狭間飾りなどをモティーフとして,絵画の周縁を豪華に飾っている。
ルネサンス期に入り,独立した作品として絵画がさかんに描かれるようになると,額縁もそれに伴って一般化した。とくに,絵画が室内装飾に多用されるようになると,壁に掛けるための額縁の需要は急速に増大し,室内調度の一つとして,さかんにつくられるようになった。その形式は,単純なものから,精緻な彫刻・鍍金を施した華麗なものまで,さまざまである。ルネサンス期の芸術都市は,また優秀な額縁の製作中心地でもあった。フィレンツェをはじめとするイタリアの諸都市,イーゼル画の発祥地であるオランダとフランドル,フランス・ルネサンスの中心であったフォンテンブローなどで,優れた額縁が多く生まれた。この種の例としては,ロンドンのナショナル・ギャラリー蔵の,ヤン・ファン・アイク作《ターバンを巻いた男》の額縁がある。比較的単純な刳型をもつ木製鍍金のもので,額縁自体に署名と1433年10月21日の日付が彫られている。フィレンツェの例としては,ミケランジェロ作《聖家族》(1480年ころ,ウフィツィ美術館)の額縁が名高い。直径約120cmの円形画面をとりまく円環状のもので,ミケランジェロのデザインにより,ドメニコ・デル・タッソが製作した。全体に複雑な唐草文様の浮彫を施し,5ヵ所に丸彫の頭像を配している。頭像の部分は彩色,地は鍍金である。
17世紀以後のタブロー画の隆盛は,額縁の需要をますます増大させ,いくつかの定型を生むにいたった。中でも,ファン・アイクの場合にみられたような,直線的で簡素な形式と,ミケランジェロの例のような,木製の本体に彫刻を施し,鍍金する豪華な形式が,以後の額縁における二つの基本形式となった。とくに後者は,フランスの宮廷で大いにもてはやされ,バロック,ロココの大画面を飾るものとなった。室内の装飾様式の推移を反映して,ルイ14世式,同15世式,同16世式と変遷するが,彫刻・鍍金による華麗な装飾効果を志向している点に変りはない。イギリス,スペインにおいても,ほぼ同様の傾向をたどるが,とくにイギリスでは家具製作の隆盛に伴って,18世紀に,優れた木工技術を駆使した堅牢で精緻な額縁が生まれている。19世紀以降,額縁は,デザインのうえでは前代までのさまざまの様式を踏襲し,しばしば無意味な折衷や混合がみられ,職人の技術も低下した。今日では絵画がさまざまな表現形式・手法をとるようになり,建築様式もまた変化しつつある状況で,額縁は新しい形式を求められている。
執筆者:友部 直
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
絵画などの平面的造形作品の周囲を限定する枠あるいは縁飾り。作品を壁面から独立した空間として際だたせ、鑑賞者の視線を集中させるとともに、作品を他の室内装飾と関連させ、環境と調和させる機能をもつ。したがって、額縁の歴史は、絵画芸術の様式的展開と建築室内装飾の発展に深いかかわりを有している。また、このような視覚的な機能と同時に、作品を堅固に支持し、物理的傷害から保護する役割も果たしている。古くは紀元前5世紀の古典期ギリシアにおいて、室内の壁面装飾として壁龕(へきがん)を設けたり絵画を掛けたりすることが行われ始め、それに伴って額縁も制作されるようになった。このような古代の額縁は、最初は単純な溝彫りを施した木枠にすぎなかったが、やがてヘレニスティック・ローマ時代にかけて板絵が隆盛するとともに、しだいに装飾的となり、木枠の上に金属の打ち出しやストゥッコの浮彫りを加えたものもつくられた。
現在一般に用いられているような額縁は、壁面に掛けることを想定した板やカンバスのいわゆるイーゼル絵画が制作されるようになったルネサンス期に始まると考えられる。しかし、その視覚的構成要素の原型は、中世の装飾写本の挿絵の縁飾りや象牙(ぞうげ)浮彫り板の枠、さらに壁画の周囲の建築部材(柱や梁(はり)など)で構成される枠組みなどにみいだすことができる。また、建築的構造物である大祭壇画の大額縁も、額縁の機能を示す典型的な例として重要である。大祭壇画の額縁のデザインは、画面の空間構成と聖堂の建築様式に密接に関連している。それは、いくつもの画面を結合統一して全体の構成を荘厳(しょうごん)し、祭壇画を堂内の象徴的存在に高め、聖堂と同じ様式の小建築として堂内の建築空間に完全に融和する構造物である。この機能は、額縁の絵画作品そのものに対する意味と、室内装飾としての意味とをよく表しているといえよう。
ルネサンス期以後、宮館や富裕な市民の邸宅内の壁面には、室内装飾としての絵画が不可欠のものとなった。15世紀イタリアのトスカナでは、とくにそのため美しい象眼(ぞうがん)を施した額縁が制作された。構造は建築的で、軒縁をもち、フリーズ浮彫りや刳型(くりがた)で装飾された形式のものが隆盛した。マニエリスムの時代には、花綱や人像柱で飾られた、材質的にも造形的にも彫塑的性格の強い額縁がつくられるようになる。このような額縁は、イタリア以外の国々、フランスをはじめドイツやフランドルでも大画面の重要な絵画作品に使用された。しかし一般の市民階級の室内では、とくに小品の肖像画などのために、より軽量で簡素な額縁が愛好された。直線的な溝彫りだけを施した木製の額も、イタリアでは金箔(きんぱく)が張られ、画面と接する内側には、細い彩色された枠縁がつけられていた。フランドル地方では、内枠に金縁を施しただけの黒檀(こくたん)の額縁が多くつくられ、この形式は17世紀に至るまで愛用された。
17世紀以降19世紀まで、絵画の額縁は、バロック、ロココ、そして新古典主義に至る各時代、各地方の絵画様式と室内装飾の趣味に応じて、多様な展開を示している。さまざまな様式とその変遷は家具デザインの歴史に対応している。いずれにしても絵画の額縁は、現実の壁面と絵画の画面との中間にあって、現実の空間と絵画空間との関係を調整するために使用されてきたのである。建築様式も絵画作品の様式もすっかり変貌(へんぼう)してしまった現代では、額縁もきわめて単純化され、ときにはまったく使用されないこともある。また、現代建築の美術館内では、一つの展覧会に出品される全作品を、統一したデザインの額装とすることなども試みられている。
[長谷川三郎]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
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