日本大百科全書(ニッポニカ) 「ストリップショー」の意味・わかりやすい解説
ストリップショー
すとりっぷしょー
strip show
ストリップティーズstrip teaseとも、略してストリップともいう。踊り子が音楽にあわせて衣類を脱いでゆく見せ物で、初めから裸体のヌードショーも含めていうことがある。19世紀後半から盛んになったアメリカのミュージック・ホールのバーレスク(笑劇)から始まったとされるが、1893年から翌年にかけパリのミュージック・ホールで踊り子がヌードになったのが始まりという説もある。第一次世界大戦後1920年ごろからアメリカ・バーレスクの主要な出し物となり、第二次世界大戦前後から世界に広がった。日本では天鈿女命(あめのうずめのみこと)の天の岩戸前の踊りや女歌舞伎(かぶき)に淵源(えんげん)を求めることもできるが、一般には1947年(昭和22)1月に東京・新宿の帝都座五階劇場で、秦豊吉(はたとよきち)(1892―1956)が企画・演出した額縁ショー「ヴィーナスの誕生」が第1号とされる。泰西名画に見立てた半裸のモデルが、舞台に立てた額縁に収まる趣向で、観客が詰めかけた。ただし、このショーのモデルが静止したままであり、本来の意味のストリップは、同年5月渋谷の東横百貨店四階劇場の『東京フォーリーズ』公演で、踊り子がブラジャーをとったのが最初だともいう。このあと、たけのこダンス、裸ショーといった形で各地に広がり、一時は盛り場に専門劇場が軒を並べ、スパンコール、バタフライなどの用語を一般化させ、第二次世界大戦後の世相を象徴する大衆娯楽となった。観客のより強い刺激要求から、1950年代風呂桶(ふろおけ)ショー、特出し、1960年代全スト、レズ、1970年代SM、マナ板ショーとエスカレートし、当局の絶え間ない取締り対象である反面、踊りを見せる正統派ストリップは衰退の一途をたどっている。
[森脇逸男]