木村荘八(読み)キムラショウハチ

デジタル大辞泉 「木村荘八」の意味・読み・例文・類語

きむら‐しょうはち〔‐シヤウハチ〕【木村荘八】

[1893~1958]洋画家。東京の生まれ。岸田劉生とともにフュウザン会結成に参加。のち春陽会会員として活躍。挿絵随筆にもすぐれた。著「東京繁昌記」など。直木賞作家の木村荘十異母弟に当たる。

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精選版 日本国語大辞典 「木村荘八」の意味・読み・例文・類語

きむら‐しょうはち【木村荘八】

  1. 洋画家。東京出身。岸田劉生と交わり、ヒュウザン(フュウザン)会を結成。のち、草土社、春陽会の同人油絵のほかさし絵でも活躍。また文筆に長じ、西洋美術書の翻訳、随筆、邦楽評論などを発表。著書「東京繁昌記」で恩賜賞受賞。明治二六~昭和三三年(一八九三‐一九五八

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「木村荘八」の意味・わかりやすい解説

木村荘八
きむらしょうはち
(1893―1958)

洋画家。明治26年8月21日、東京・日本橋に生まれる。父木村荘平は明治中期に牛鍋屋(ぎゅうなべや)「いろは」を創業した当主で、弟に作家木村荘十(そうじゅう)、映画監督木村荘十二(そとじ)がいる。京華中学校を卒業後、暁星中学仏語講座に籍を置き、文学を志し、演劇に関心をもつ。葵橋(あおいばし)洋画研究所に入って岸田劉生(りゅうせい)を知り、1912年(大正1)フュウザン会の結成に加わり『虎の門(とらのもん)付近』など革新的なフォーブ風作品を発表した。また当時から文筆の才に優れ、批評や多くの西洋美術書の翻訳を始めている。15年劉生、中川一政(かずまさ)らと草土社を創立し、毎年展覧会を開いて独特な写実様式に進んだ。18年院展洋画部に出品して樗牛(ちょぎゅう)賞を受賞。22年春陽会の創立には客員として参加、のち中心的な会員として活躍した。昭和初期の代表的作品『パンの会』『牛肉店帳場』などは春陽展に発表。油絵のほか、『にごりえ』『霧笛(むてき)』『濹東綺譚(ぼくとうきたん)』などの挿絵にも優れた仕事を残し、また、『風俗帳』『現代挿絵考』『東京今昔帳』など随筆も多く刊行した。没後の59年(昭和34)に遺著『東京繁昌記(はんじょうき)』の文と絵に対して日本芸術院恩賜賞が贈られた。演劇や映画の時代考証小唄(こうた)や邦楽の権威でもあり、書籍装丁にも優れていた。昭和33年11月18日没。

[小倉忠夫]

『『木村荘八全集』全8巻(1982~83・講談社)』

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20世紀日本人名事典 「木村荘八」の解説

木村 荘八
キムラ ショウハチ

大正・昭和期の洋画家,随筆家



生年
明治26(1893)年8月21日

没年
昭和33(1958)年11月18日

出生地
東京・両国吉川町

学歴〔年〕
京華中学校卒,白馬会葵橋洋画研究所

主な受賞名〔年〕
院展樗牛賞(第5回)〔大正7年〕,日本芸術院賞恩賜賞〔昭和33年〕「東京繁昌記」

経歴
生家は牛鍋屋いろは。白馬会葵橋洋画研究所に学び、岸田劉生と交友。「薄命のロートレック」を翻訳しながら、大正元年フュウザン会展でデビュー。「エル・グレコ」「未来派及立体派の芸術」などを翻訳出版。その間、岸田や高村光太郎らと生活社展を開き、4年に草土社を結成。二科会などにも出品したが、草土社解散後、12年に春陽会会員となり、13年「お七櫓にのぼる」昭和3年「パンの会」などを制作。同時に白井喬二の「富士に立つ影」、大佛次郎の「霧笛」など新聞小説の挿絵で名声を博し、特に永井荷風の「〓東綺譚」で頂点に達した。また随筆でも「明治挿絵変遷史」「東京の風俗」「東京繁昌記」などに健筆をふるった。「木村荘八全集」(全8巻 講談社)もある。

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百科事典マイペディア 「木村荘八」の意味・わかりやすい解説

木村荘八【きむらしょうはち】

洋画家。東京生れ。父荘平は牛肉店〈いろは〉の盛業で知られる。白馬会洋画研究所に学び,フュウザン会草土社の創立に参画,のち春陽会を結成し,日本的油絵を創造し,独自の画風を展開。樋口一葉《にごりえ》,永井荷風【ぼく】東綺譚》など小説のさし絵も多い。翻訳,評論,随筆にも健筆を振るい,邦楽評論家としても知られた。《木村荘八全集》がある。
→関連項目森田恒友

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改訂新版 世界大百科事典 「木村荘八」の意味・わかりやすい解説

木村荘八 (きむらしょうはち)
生没年:1893-1958(明治26-昭和33)

洋画家。東京に生まれる。父の荘平は牛肉店〈いろは〉の盛業で知られ,姉の曙は小説家,兄荘太は文芸評論家。弟の荘十は小説家,荘十二は映画監督。白馬会洋画研究所に学び,岸田劉生を知り,ともに1912年フュウザン会の結成に参加。《エル・グレコ》《未来派及立体派の芸術》などを翻訳出版し,後期印象派以後の新美術の紹介にも尽力した。フュウザン会解散後,岸田劉生,高村光太郎らと生活社を起こし,15年岸田,中川一政らと草土社を結成,二科会,日本美術院洋画部にも出品。22年草土社を解散し,新結成の春陽会に招かれ,以後会員として活躍。代表作は《パンの会》《牛肉店帳場》など。また《にごりえ》《濹東綺譚》など小説挿絵にもすぐれた作品を残した。邦楽評論家としても知られ,随筆家としても著名で《東京繁昌記》の画文は59年日本芸術院恩賜賞を受けた。《木村荘八全集》全8巻がある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「木村荘八」の意味・わかりやすい解説

木村荘八
きむらしょうはち

[生]1893.8.21. 東京
[没]1958.11.18. 東京
洋画家,随筆家。京華中学校卒業後,1911年白馬会洋画研究所に入り,12年のフュウザン会,翌年の生活社,15年の草土社などの結成に参加し,後期印象派などの新美術の紹介に努め,岸田劉生とともに大正期画壇で活躍した。その後 22年からは春陽会会員となり,昭和に入ってからは新文展,日展の審査員。挿絵にも定評があり,樋口一葉の『にごりえ』,永井荷風の『 濹東綺譚』の挿絵などは近代挿絵史を飾る作品。また随筆家として『後期印象派論』『ロダンの芸術観』『ミケランジェロ』『東京の風俗』『東京繁昌記』など三十数冊の著書があり,邦楽評論家としても有名。主要作品『自画像』 (1913,東京国立近代美術館) ,『パンの会』 (28) ,『牛肉店帳場』 (32,北野美術館) 。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「木村荘八」の解説

木村荘八 きむら-しょうはち

1893-1958 大正-昭和時代の洋画家。
明治26年8月21日生まれ。実業家木村荘平の8男。白馬会葵橋(あおいばし)洋画研究所にまなぶ。ヒュウザン会,草土社,春陽会の創立に参加。代表作に「パンの会」「牛肉店帳場」などがあり,「濹東綺譚(ぼくとうきだん)」などの挿絵や随筆でも知られた。昭和33年11月18日死去。65歳。34年遺著「東京繁昌記」に芸術院恩賜賞がおくられた。東京出身。京華中学卒。

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367日誕生日大事典 「木村荘八」の解説

木村 荘八 (きむら しょうはち)

生年月日:1893年8月21日
大正時代;昭和時代の洋画家;随筆家
1958年没

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