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木村荘八 きむら しょうはち

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美術人名辞典の解説

木村荘八

洋画家。東京生。白馬会洋画研究所に学び、岸田劉生フューザン会・草土社を結成する。のち春陽会創立会員となる。小説の挿絵に名を馳せ、随筆家としても著名で、『東京繁昌記』の画文は芸術院恩賜賞を受ける。また邦楽評論家としても知られた。昭和34年(1959)歿、65才。

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デジタル大辞泉の解説

きむら‐しょうはち〔‐シヤウハチ〕【木村荘八】

[1893~1958]洋画家。東京の生まれ。岸田劉生とともにフュウザン会の結成に参加。のち春陽会会員として活躍。挿絵や随筆にもすぐれた。著「東京繁昌記」など。直木賞作家の木村荘十は異母弟に当たる。

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百科事典マイペディアの解説

木村荘八【きむらしょうはち】

洋画家。東京生れ。父荘平は牛肉店〈いろは〉の盛業で知られる。白馬会洋画研究所に学び,フュウザン会草土社の創立に参画,のち春陽会を結成し,日本的油絵を創造し,独自の画風を展開。
→関連項目森田恒友

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

木村荘八 きむら-しょうはち

1893-1958 大正-昭和時代の洋画家。
明治26年8月21日生まれ。実業家木村荘平の8男。白馬会葵橋(あおいばし)洋画研究所にまなぶ。ヒュウザン会,草土社,春陽会の創立に参加。代表作に「パンの会」「牛肉店帳場」などがあり,「濹東綺譚(ぼくとうきだん)」などの挿絵や随筆でも知られた。昭和33年11月18日死去。65歳。34年遺著「東京繁昌記」に芸術院恩賜賞がおくられた。東京出身。京華中学卒。

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世界大百科事典 第2版の解説

きむらしょうはち【木村荘八】

1893‐1958(明治26‐昭和33)
洋画家。東京に生まれる。父の荘平は牛肉店〈いろは〉の盛業で知られ,姉の曙は小説家,兄荘太は文芸評論家。弟の荘十は小説家,荘十二は映画監督。白馬会洋画研究所に学び,岸田劉生を知り,ともに1912年フュウザン会の結成に参加。《エル・グレコ》《未来派及立体派の芸術》などを翻訳出版し,後期印象派以後の新美術の紹介にも尽力した。フュウザン会解散後,岸田劉生,高村光太郎らと生活社を起こし,15年岸田,中川一政らと草土社を結成,二科会日本美術院洋画部にも出品。

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大辞林 第三版の解説

きむらしょうはち【木村荘八】

1893~1958) 洋画家。東京生まれ。画学生時に岸田劉生と知り合い、ともにフュウザン会の結成に参画。代表作に「パンの会」など。挿絵・装丁にもすぐれたほか、「東京繁昌記」など多くの随筆を残す。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

木村荘八
きむらしょうはち

[生]1893.8.21. 東京
[没]1958.11.18. 東京
洋画家,随筆家。京華中学校卒業後,1911年白馬会洋画研究所に入り,12年のフュウザン会,翌年の生活社,15年の草土社などの結成に参加し,後期印象派などの新美術の紹介に努め,岸田劉生とともに大正期画壇で活躍した。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

木村荘八
きむらしょうはち
(1893―1958)

洋画家。明治26年8月21日、東京・日本橋に生まれる。父木村荘平は明治中期に牛鍋屋(ぎゅうなべや)「いろは」を創業した当主で、弟に作家木村荘十(そうじゅう)、映画監督木村荘十二(そとじ)がいる。京華中学校を卒業後、暁星中学仏語講座に籍を置き、文学を志し、演劇に関心をもつ。葵橋(あおいばし)洋画研究所に入って岸田劉生(りゅうせい)を知り、1912年(大正1)フュウザン会の結成に加わり『虎の門(とらのもん)付近』など革新的なフォーブ風作品を発表した。また当時から文筆の才に優れ、批評や多くの西洋美術書の翻訳を始めている。15年劉生、中川一政(かずまさ)らと草土社を創立し、毎年展覧会を開いて独特な写実様式に進んだ。18年院展洋画部に出品して樗牛(ちょぎゅう)賞を受賞。22年春陽会の創立には客員として参加、のち中心的な会員として活躍した。昭和初期の代表的作品『パンの会』『牛肉店帳場』などは春陽展に発表。油絵のほか、『にごりえ』『霧笛(むてき)』『東綺譚(ぼくとうきたん)』などの挿絵にも優れた仕事を残し、また、『風俗帳』『現代挿絵考』『東京今昔帳』など随筆も多く刊行した。没後の59年(昭和34)に遺著『東京繁昌記(はんじょうき)』の文と絵に対して日本芸術院恩賜賞が贈られた。演劇や映画の時代考証、小唄(こうた)や邦楽の権威でもあり、書籍の装丁にも優れていた。昭和33年11月18日没。[小倉忠夫]
『『木村荘八全集』全8巻(1982~83・講談社)』

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