額谷村(読み)ぬかたにむら

日本歴史地名大系 「額谷村」の解説

額谷村
ぬかたにむら

[現在地名]金沢市額谷一―三丁目・ひかりおか二―三丁目・額谷町

くらヶ岳の北西麓、大額おおぬか村の南に位置する。鶴来つるぎ往来が通り、伏見ふしみ川水系の額谷川(七瀬川)が北辺を西流する。同川上流の県指定史跡御廟ごびよう谷には五輪塔三基があり、守護富樫氏累代ないしは庶流額氏の墓所といわれる。当地を含む手取川扇状地の東端、倉ヶ岳北西麓一帯は額七ヵ村(「加賀志徴」は大額・額谷・額乙丸・額新保・額三十刈・額助九・額栗林の七村とする)と通称され、富樫氏の庶流額氏の開発本領とされる。富樫系図(尊経閣文庫)及び大桑氏系図(善性寺文書)によれば、額氏は富樫家経の子家忠を祖とし景家―用家―氏家と続いた。

太平記」巻二〇(越後勢越々前事)によると延元三年(一三三八)七月、富樫介(高家)新田義貞に呼応した越後大井田氏を迎え撃って敗れ、那谷なに(現小松市)へ引籠っている。「参考太平記」の注に引く金勝院本「太平記」には「高家ハ在京シタリケレトモ、一族ニ額斎藤四郎用家、高松浜ニテ懸合、散々ニ戦ヒケレトモ叶ハス、那谷城へ引籠ル、云々」とあり、この戦いを主導した人物を額用家とする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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