顕広王(読み)あきひろおう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「顕広王」の解説

顕広王 あきひろおう

1095-1180 平安時代後期の官吏
嘉保(かほう)2年生まれ。永万元年神祇伯(じんぎはく)となる。安元2年子の仲資(なかすけ)王に職をゆずる。以後この職は世襲され,子孫は王を称する白川家となり,その神道伯家(はっけ)神道とよばれた。日記「顕広王記」がある。治承(じしょう)4年7月19日死去。86歳。

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朝日日本歴史人物事典 「顕広王」の解説

顕広王

没年:治承4.7.19(1180.8.11)
生年:嘉保2(1095)
平安後期の貴族。正四位下神祇伯。白川家の祖。花山天皇の玄孫源顕康の子。父の代で源姓を賜ったものの王氏に復された。永万1(1165)年神祇伯となり,安元2(1176)年次男仲資王にそれを譲る。以後代々神祇伯を世襲して伯家と呼ばれた。日記『顕広王記』がある。

(秋山喜代子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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