願得寺(読み)がんとくじ

日本歴史地名大系 「願得寺」の解説

願得寺
がんとくじ

[現在地名]門真市御堂

山号光明山、本尊阿弥陀如来。真宗大谷派の別格寺院で古橋ふるはし御堂とも称する。「大谷一流諸家分脈系図」によると永禄年間(一五五八―七〇)本願寺蓮如の第二三子実悟が、加賀国石川郡の願得寺(現廃寺)の旧号を移して草創した。同系図によれば実悟はこれに先立って茨田まんだ土居どい(現守口市清沢寺)・同郡世木せぎ(現四條畷市の本泉寺か)も創建している。実悟は出生後まもなく、兄で加賀本泉ほんせん(現石川県金沢市)の住職蓮悟の養子となった。しかし蓮悟には後嗣が出生したので、永正五年(一五〇八)蓮悟は同国剣木つるぎ清沢せいさわ(現同県石川郡鶴来町)に清沢坊を建立して実悟を住職にし、その後清沢坊は本願寺九世実如より願得寺の寺号を下付された(反故裏書)。寺号下付の年時は同一〇年以後大永二年(一五二二)までの間と考えられる(現平野区慧光寺蔵の実悟書写「嘆徳文意」巻末)享禄四年(一五三一)北陸に大小一揆(享禄の錯乱)が起こった。清沢坊(願得寺)は本泉寺・光教寺などの加賀三ヵ寺および加越能三国の守護と組んで本願寺・越前超勝寺方と争った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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