門真一番上村
かどまいちばんかみむら
[現在地名]門真市御堂町・垣内町・一番町・幸福町・古川町・寿町・速見町・深田町・松生町・常盤町・石原町・大倉町・末広町・大橋町・桑才新町・東田町・柳田町
現門真市の北部、古川右岸沿いの平坦地の村。対岸は横地村。東西に清滝街道が通り、古川に古川橋が架かる。同橋詰は交通の要地。集落は清滝街道沿いに形成されており、西部の福所、東部の古橋の二集落に分れる。古橋の地名はルイス・フロイス「日本史」に古橋(城)の合戦としてみえる。元亀元年(一五七〇)九月、同所で大量の米を徴収していたキリシタンのジョルジ弥平次を、三木半太夫が二千五〇〇人の軍勢で襲撃した。城はやや高いところにあり、登るのに二つの階段があった。米の収納作業中のジョルジの家臣および居合せた者約四〇〇人以上は防戦むなしく全滅したが、ジョルジは奇跡的に助けられたことが記される。ジョルジ弥平次は当時織田信長方の三好義継の家臣で、三木半太夫は四国衆に加わっていたのである。また天正一〇年(一五八二)一〇月日の羽柴秀吉禁制(願得寺文書)には「河州十七ケ所門真庄内古橋町」とみえ、当地が古川以西一帯の総称である十七箇所に含まれていたこと、門真庄という呼称があったこと(範囲不詳)、古橋には当時すでに町といわれるほどの集落が形成されていたことが知られる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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