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願阿弥 がんあみ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

願阿弥 がんあみ

?-? 室町時代の僧。
時宗(じしゅう)。京都の七条道場金光寺の勧進聖(かんじんひじり)。長禄(ちょうろく)4年(1460)からの飢饉(ききん)に際し,翌年幕府に出資をさせて小屋をつくったり,粟粥(あわがゆ)の炊き出しをするなどして京都の民衆をたすける。京都五条橋も修復した。越中(富山県)出身。

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世界大百科事典内の願阿弥の言及

【慈善事業】より

… なお,南北朝~室町期には律宗の衰退にともない,このような仏教者による慈善事業はおもに禅僧と時衆によって担われるようになった。乞者に食を給した下野興禅寺の真空妙応(?‐1351),1363年(正平18∥貞治2)の阿波国の飢饉に際して貧人乞者に粥を施した春屋妙葩(しゆんおくみようは),財を捨てて癩者を沐浴させた遠江方広寺の無文元選(1323‐90),1461年(寛正2)の飢饉・疫病に際して,六角堂の前に大釜を置いて粥を炊き,飢者に施行した勧進聖願阿弥(生没年未詳)などがその例である。とくに寛正の飢饉に際しての時衆の願阿弥の活動には注目すべきものがあるが,総じて,中世における慈善事業の系統的な遂行者としては,鎌倉後期の律僧の非人救済運動をもって一つの画期とするべきである。…

【長禄・寛正の飢饉】より

…3月末以後麦が飢えをいやしていったが,疫病がはやり庶民のみならず公家武家からも疫死者が出た。公的救済策はなされず,時衆願阿弥による都でのあわ粥施与事業が知られるが,飢饉をよそに将軍足利義政が御所造営事業などの奢侈にふけっていたことは有名である。この飢饉の中で応仁・文明の乱の発端となる両畠山家の衝突が起きている。…

※「願阿弥」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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