風早町(読み)かざはやちよう

日本歴史地名大系 「風早町」の解説

風早町
かざはやちよう

下京区油小路通綾小路下ル

南北に通る油小路あぶらのこうじ(旧油小路)を挟む両側町。

平安京の条坊では左京五条二坊四保一〇町の東側及び同四保一五町西側の地、平安中期以降は五条坊門油小路の北にあたる。

明応九年(一五〇〇)に再興された祇園会前祭さきのまつり山鉾渡御の次第に「二番、天神山五条坊門トアヤノ小路間也」とあり(祇園社記)、南北道路の記述がないが、他の山鉾の配置状況や、現在も当町から油天神山が出ることから、この記事は当町のことをさしたものと推察される。元亀二年(一五七一)の上下京御膳方御月賄米寄帳(立入宗継文書)には川西組に所属する町として「天神山町風早町」とみえる。


風早町
かざはやまち

[現在地名]今治市風早町かざはやちよう一―四丁目

慶長八年(一六〇三)藤堂高虎の町割によってつくられた町で、今治八町の一つ。ほん町の東側に並び、各丁六〇間で四丁目まであり、各戸は奥行一五間の短冊形に区画された。享保年間(一七一六―三六)の今治町絵図(今治市役所蔵)によると、出入口と三丁目角に番所を置き、二丁目と三丁目に井戸を配している。元禄一二年(一六九九)の風早町寸間改帳では、三丁目は東西両側とも「塩町二丁目」とあり、百姓の名が並んでいる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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