日本歴史地名大系 「飯倉町続芝永井町代地」の解説 飯倉町続芝永井町代地いいぐらまちつづきしばながいちようだいち 東京都:港区旧麻布区地区飯倉町続芝永井町代地[現在地名]港区東麻布(ひがしあざぶ)一丁目かわらけ坂東側にある片側町。東が増上寺山内塔頭の宝珠(ほうしゆ)院・通元(つうげん)院・真乗(しんじよう)院、西側が坂を隔てて赤羽(あかばね)外国人応接所。芝永井町の残地(総間口田舎間五六間余)が文化八年(一八一一)類焼して増上寺の防火明地に召上げられ、表田舎間二九間余が飯倉町五丁目続滝川安芸守屋敷跡に元坪のとおり代地を受け、町内を飯倉町続芝永井町代地とした。残地も同時に溜池(ためいけ)端に代地を得た。町内間数表田舎間二九間余、南北表間口二九間余・裏幅三二間余、東西は奥行が南方六間余・北方二〇間。三九四坪余、ただし上納地・拝領地とも。家数二八、うち家持二・家守二・地借二・店借二二。自身番屋は飯倉町五丁目に組合。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by