日本歴史地名大系 「飯得庄」の解説 飯得庄はえのしよう 福岡県:三池郡高田町飯得庄飯江(はえ)川上流の飯江・竹飯(たけい)一帯に比定される太宰府天満宮(安楽寺)領の庄園。同宮領としては得飯庄と記される。山門(やまと)郡に属した(文安三年四月一五日「木野了幸安堵状」太宰府天満宮文書/大宰府・太宰府天満宮史料一三など)。治安三年(一〇二三)に建立された安楽寺浄妙(じようみよう)院(榎寺、現太宰府市)に寄進された庄園で、面積は四三町二反三丈中(安楽寺草創日記)。観応三年(一三五二)書写の安楽寺領注進状に「得飯庄」とあり「同甘木 凶徒押領」と注記される。永和四年(一三七八)一一月九日の大鳥居信源避状(同文書/南北朝遺文(九州編)五)によれば、同庄甘木(あまぎ)村などは安楽寺留守別当大鳥居氏重代相伝の私領で、大鳥居信高からその子信源へ伝えられたが、京進物無沙汰のため領家によってその所職を改易され、大鳥居亀松丸が補任された。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by