飯沼貞吉(読み)イイヌマ サダキチ

20世紀日本人名事典 「飯沼貞吉」の解説

飯沼 貞吉
イイヌマ サダキチ

明治・大正期の逓信技師 会津白虎隊唯一の生存者。



生年
嘉永6年(1853年)

没年
昭和6(1931)年2月12日

経歴
会津藩上級武士飯沼時衛一正の次男。10歳で藩校日新館に学ぶ。慶応4年白虎隊に入り、会津戦争に参加、同年8月23日飯盛山で同志19人と共に自刃したが、知り合いの藩士印出新蔵の妻に助けられ一命をとりとめた。唯一生き残ったことで白虎隊士中2番隊殉難の詳細が明らかになった。明治5年逓信省に入り、関西、九州を歩き、日清戦争では釜山―京城間の架線工事に従事した。38年札幌郵便局工務課長、43年仙台逓信管理局工務部長、大正2年退職。昭和32年9月、戊辰の役90年祭に当り飯盛山に墓が建てられた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「飯沼貞吉」の解説

飯沼貞吉 いいぬま-さだきち

1854-1931 幕末-大正時代の武士,官吏
嘉永(かえい)7年3月25日生まれ。慶応4年会津(あいづ)藩の白虎隊(びゃっこたい)編制のとき15歳を16歳といつわり入隊。新政府軍の会津攻撃の際,飯盛山で隊士19名とともに自刃(じじん)をはかったが,ただひとり生還。維新後貞雄と改名。逓信技師となり,仙台逓信管理局工務部長をつとめ,日清(にっしん)戦争にも従軍した。昭和6年6月12日死去。78歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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