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白虎隊 びゃっこたい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

白虎隊
びゃっこたい

幕末の会津藩少年藩兵隊。慶応4 (1868) 年3月東征軍との対決を控えて,藩は軍制改革を行い,年齢別に青竜・白虎・朱雀・玄武四神の名をもつ4隊をつくったが,白虎隊は上級,中級,下級の各藩士階層別に,その子弟の 15~17歳の少年で構成され,それぞれ士中,寄合足軽白虎隊と称した。白虎というのは中国古来の伝説にみられる架空の動物の一つで,西方の守護神とされた。奥羽越列藩同盟官軍と戦闘状態に入ると,実戦に参加し,寄合は越後戦争で,士中は会津戦争で死闘,若松城が官軍に焼かれているのを見て,8月 23日に,生残った篠田儀三郎らは飯盛山で自決した。同所に白虎隊の墓がある。

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百科事典マイペディアの解説

白虎隊【びゃっこたい】

1868年会津藩が組織した少年隊。鳥羽・伏見の戦に敗れたのち会津藩は軍制改革を実施,抗戦体制を固めたが藩士も年齢によって玄武・青竜・朱雀および16・17歳の少年からなる白虎の4隊に再編,洋式訓練を加えた。
→関連項目会津若松[市]山川健次郎

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世界大百科事典 第2版の解説

びゃっこたい【白虎隊】

戊辰戦争に参加した会津藩の少年隊。戊辰戦争に参戦した会津藩は,軍制改革を行い,年齢によって藩士を,白虎(16~17歳),朱雀(18~35歳),青竜(36~49歳),玄武(50歳以上)の4隊に分けた。白虎隊は,身分によって上級藩士の士中,中級藩士の寄合,下級藩士の足軽に分かれ,計6中隊とされ,フランス式訓練を施された。征討軍が進入し会津藩が危機におちいると,白虎隊も越後口戦争や戸ノ口原の戦に参戦した。

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大辞林 第三版の解説

びゃっこたい【白虎隊】

1868年、維新政府軍の来襲を迎えた会津藩が、兵制改革の一環として一六、七歳の藩士の子弟をもって編成した少年隊。飯盛山における隊士二〇名の自刃は、会津藩の悲劇を象徴する事件となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

白虎隊
びゃっこたい

戊辰(ぼしん)戦争期における会津藩の少年正規軍。1868年(慶応4)正月の鳥羽(とば)・伏見(ふしみ)の戦いに敗れた旧京都守護職の会津藩主松平容保(かたもり)は、維新政府への抗戦を主張、徳川慶喜(よしのぶ)が恭順の態度を示すや、帰藩して軍事力の強化を図った。同年3月には軍制を洋式に改め、部隊を年齢別に編成して、18~35歳を朱雀(すざく)隊、36~49歳を青龍(せいりゅう)隊、50歳以上を玄武(げんぶ)隊、そして16、7歳の少年で結成されたのが白虎隊であった。兵員数は300余名であった。主力は朱雀、青龍で、玄武、白虎はいわば予備軍であったが、新政府軍の攻撃にあい、白虎隊も従軍。8月23日、命を受けて出撃した白虎隊士20名が若松城北東の飯盛山(いいもりやま)で自刃(じじん)して果てたのは、会津戦争の有名な哀話である。[井上 勲]

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世界大百科事典内の白虎隊の言及

【飯盛山】より

…全山赤松におおわれている。1868年(明治1)戊辰戦争の折,白虎隊士20名が自刃(うち1名は蘇生)した地として知られ,1965年再建された鶴ヶ城(若松城跡,史跡)とともに会津観光の中心をなしている。この山は孤立した峰ではなく,その南東部はしだいに高くなり,猪苗代盆地と会津盆地の境にある標高800m前後の背あぶり高原に続いている。…

※「白虎隊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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