白虎隊(読み)ビャッコタイ

デジタル大辞泉 「白虎隊」の意味・読み・例文・類語

びゃっこ‐たい〔ビヤクコ‐〕【白虎隊】

慶応4年(1868)3月戊辰ぼしん戦争の際、会津藩が16、7歳の藩士子弟によって組織した少年決死隊。官軍との戦いに敗れて飯盛山まで後退したとき、若松城方角黒煙のあがるのを見て落城と思い誤り、20人が自刃した。

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精選版 日本国語大辞典 「白虎隊」の意味・読み・例文・類語

びゃっこ‐たいビャクコ‥【白虎隊】

  1. 会津藩幕末に編制した少年隊の一つ。慶応四年(一八六八)三月、洋式兵制を採用した藩が青龍・朱雀玄武とともに、年齢別に編制した四隊のうちの一つで、一六~一七歳の少年で編制。戊辰戦争で、戸ノ口原の戦に敗れてそのうち二〇名が飯盛山まで後退。ここで城の方角に火煙が上がるのを望見して、全員自刃したが一名が蘇生。

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改訂新版 世界大百科事典 「白虎隊」の意味・わかりやすい解説

白虎隊 (びゃっこたい)

戊辰戦争に参加した会津藩の少年隊。戊辰戦争に参戦した会津藩は,軍制改革を行い,年齢によって藩士を,白虎(16~17歳),朱雀(18~35歳),青竜(36~49歳),玄武(50歳以上)の4隊に分けた。白虎隊は,身分によって上級藩士の士中,中級藩士の寄合下級藩士の足軽に分かれ,計6中隊とされ,フランス式訓練を施された。征討軍が進入し会津藩が危機におちいると,白虎隊も越後口戦争や戸ノ口原の戦に参戦した。このうち,8月22日戸ノ口原の戦に激戦し,翌日,飯盛山に敗走した白虎2番士中隊士20名は,激戦のため黒煙に包まれた鶴ヶ城を見て,陥落したと判断して自刃した。飯沼貞吉のみ,後に生き返った。自刃した白虎隊士の死体は,しばらく放置されたが,官軍の許しを得て飯盛山に埋葬され,その後,白虎隊が忠義の少年隊と賛美されるとともに,明治から大正時代にかけて現在の形に墓が拡張された。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「白虎隊」の意味・わかりやすい解説

白虎隊
びゃっこたい

戊辰(ぼしん)戦争期における会津藩の少年正規軍。1868年(慶応4)正月の鳥羽(とば)・伏見(ふしみ)の戦いに敗れた旧京都守護職の会津藩主松平容保(かたもり)は、維新政府への抗戦を主張、徳川慶喜(よしのぶ)が恭順の態度を示すや、帰藩して軍事力の強化を図った。同年3月には軍制を洋式に改め、部隊を年齢別に編成して、18~35歳を朱雀(すざく)隊、36~49歳を青龍(せいりゅう)隊、50歳以上を玄武(げんぶ)隊、そして16、7歳の少年で結成されたのが白虎隊であった。兵員数は300余名であった。主力は朱雀、青龍で、玄武、白虎はいわば予備軍であったが、新政府軍の攻撃にあい、白虎隊も従軍。8月23日、命を受けて出撃した白虎隊士20名が若松城北東の飯盛山(いいもりやま)で自刃(じじん)して果てたのは、会津戦争の有名な哀話である。

[井上 勲]


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百科事典マイペディア 「白虎隊」の意味・わかりやすい解説

白虎隊【びゃっこたい】

1868年会津藩が組織した少年隊。鳥羽・伏見の戦に敗れたのち会津藩は軍制改革を実施,抗戦体制を固めたが藩士も年齢によって玄武・青竜・朱雀および16・17歳の少年からなる白虎の4隊に再編,洋式訓練を加えた。白虎隊は出身によって士中・寄合・足軽の3隊に分かれていたが,会津に危機が迫ると士中隊は前線に出て戦い半数は戦死,生存者は飯盛(いいもり)山で自決した。→会津戦争
→関連項目会津若松[市]山川健次郎

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「白虎隊」の意味・わかりやすい解説

白虎隊
びゃっこたい

幕末の会津藩少年藩兵隊。慶応4 (1868) 年3月東征軍との対決を控えて,藩は軍制改革を行い,年齢別に青竜・白虎・朱雀・玄武の四神の名をもつ4隊をつくったが,白虎隊は上級,中級,下級の各藩士階層別に,その子弟の 15~17歳の少年で構成され,それぞれ士中,寄合,足軽白虎隊と称した。白虎というのは中国古来の伝説にみられる架空の動物の一つで,西方の守護神とされた。奥羽越列藩同盟が官軍と戦闘状態に入ると,実戦に参加し,寄合は越後戦争で,士中は会津戦争で死闘,若松城が官軍に焼かれているのを見て,8月 23日に,生残った篠田儀三郎らは飯盛山で自決した。同所に白虎隊の墓がある。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「白虎隊」の解説

白虎隊
びゃっこたい

戊辰(ぼしん)戦争時に会津藩で16~17歳の少年によって編制された部隊。1868年(明治元)3月,会津藩では鳥羽・伏見での敗戦の経験から軍制の洋式化を断行,部隊を年齢別に編制して若年から白虎・朱雀(すざく)・青竜・玄武の各隊とした。しかし会津戦争に出撃した白虎隊は8月23日の戸ノ口原の戦で新政府軍に敗北,生き残った20人は若松城の北東にある飯盛山に登り,新政府軍が城下に放った炎をみて城が陥落したと誤認し,刺し違えるなどしてほぼ全員が死亡した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「白虎隊」の解説

白虎隊
びゃっこたい

戊辰 (ぼしん) 戦争に際し,会津藩で組織された少年隊
会津藩が年齢別に編成した玄武・青竜・朱雀・白虎の4隊の1つで,最年少の16〜17歳の藩士の子弟で編成。1868年会津戦争に際し,いっしょに奮戦して多くは戦死。残る生存者も新政府軍が城下に放った火炎を城の陥落と誤解し,飯盛山で自刃した。

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「白虎隊」の解説

白虎隊
びゃっこたい

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
初演
明治34.3(東京・市村座)

出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の白虎隊の言及

【飯盛山】より

…全山赤松におおわれている。1868年(明治1)戊辰戦争の折,白虎隊士20名が自刃(うち1名は蘇生)した地として知られ,1965年再建された鶴ヶ城(若松城跡,史跡)とともに会津観光の中心をなしている。この山は孤立した峰ではなく,その南東部はしだいに高くなり,猪苗代盆地と会津盆地の境にある標高800m前後の背あぶり高原に続いている。…

※「白虎隊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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