朝日日本歴史人物事典 「養叟宗頤」の解説
養叟宗頤
生年:永和2/天授2(1376)
室町前期の臨済宗の僧。京都の人。藤原氏の出。初め大応派の拠点東福寺正覚庵,建仁寺天潤庵に依り,次いで近江(滋賀県)禅興庵の華叟宗曇に参じ,印可を得た。華叟示寂後,大徳寺に住し,徹翁派下の主流の地位を固める。五山の枠組みから外れ,在野に立つ林下の寺として独自路線を模索した。和泉(大阪府)堺に陽春庵を開き,広範囲な階層に入室参禅の門戸を開いて,同派隆盛の礎を築いた。また,比丘尼五山との関係を結ぶことにより,足利氏および五山との関係緊密化に努めた。これは,春浦宗煕,実伝宗真らによって引き継がれる。一休宗純 の,禅を世渡りの道具とするという養叟批判は有名。
(飯塚大展)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報