日本歴史地名大系 「養野村」の解説 養野村ようのむら 岡山県:苫田郡奥津町養野村[現在地名]奥津町養野羽出(はで)村の東にあり、北は奥津村、東と南は西北条(さいほくじよう)郡百谷(ももだに)村(現鏡野町)。泉(いずみ)山の西麓緩斜面に開け、百谷村から泉山の鞍部を越え、養野村に至り、福見乢(ふくみだわ)を越えて奥津村に通ずる伯耆往来の脇往還がある。この往還は上才原(かみさいばら)村(現上齋原村)などの薪炭鉄輸送の主要道路として使用され、茶店もあったと伝える。正保郷帳に高一七九石余、うち田方一一七石余・畑方六二石余とある。「作陽誌」では家数四八・人数二六四。元禄一〇年(一六九七)の美作国郡村高辻帳では改出高二八石余・開高二五石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by