日本歴史地名大系 「首里古地図」の解説
首里古地図
しゆりこちず
解説 近世の首里城および首里三平等の屋敷図。製作年代については種々論争があったが、一八世紀初頭(一七〇一―〇九年かと推測されている)に描かれたもので、一八四五年に一部手直しがなされている。王府時代、平等所に備え付けられていたとされるが、作成目的等詳細は不明。原図はもと首里市役所に保管されていたが、沖縄戦で焼失した。一九一〇年に東恩納寛惇が絵師の具志氏に依頼して作製した模写図(二二七×三三〇センチ)が県立図書館に所蔵されている。また同模写図をもとにした嘉手納宗徳模写図(一九六八年)がある。大正―昭和初期に鎌倉芳太郎が原図を撮影した写真(乾板)が県立芸術大学附属図書・芸術資料館や那覇市歴史資料室に残されている。
本図は首里城を中心に据え、首里三平等の一九村の範囲、区画、御殿・殿内以下の士、百姓の屋敷(名前も記載)をはじめ、寺社や公官衙、御嶽、井泉、田畑、窯跡、道路、松林などを記しており、往時の首里の町の様子を如実に示した貴重な絵図となっている。なお首里古地図の名称は東恩納の命名と考えられ、元来は久茂地村屋敷図(一七三五年調製)などと同様、首里三平等屋敷図といった類の名称であったと推測される。琉球国絵図史料集第三集に収載。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報