香深村(読み)かふかむら

日本歴史地名大系 「香深村」の解説

香深村
かふかむら

[現在地名]礼文郡礼文町大字香深村

明治一一年(一八七八)一〇月に成立し、同三五年まで存続した礼文郡の村。礼文島の南部東岸に位置し、南は尺忍しやくにん村、北は船泊ふなどまり村。「蝦夷巡覧筆記」にレフンシリ島内のカブカヱと記され、「蝦夷日誌」(二編)ではカフカヱとする。近世末における礼文島の入口は「テシカリシユマ」(大字香深村テシカリシマ、手然と表記)で、大番屋・板蔵・稲荷社・弁天社があった(「蝦夷日誌」二編、「西蝦夷地日記」など)。また「西蝦夷日誌」には当地の「ヘウケトンナイ」について「番屋蔵々十二棟、弁天社 土人十軒、人別二十七人地形山低樹多く砂浜」とある。

香深村
かふかむら

明治三五年(一九〇二)から昭和三一年(一九五六)まで存続した礼文郡の村。明治三五年四月一日、香深村と尺忍しやくにん村が合併して成立し二級町村制を施行した。同年の戸口は六七八戸・四千一七人(「町村別戸口表」市立函館図書館蔵)。大正一二年(一九二三)一級町村制を施行。明治三三年一〇月から小樽稚内線航路の寄港地に香深が組入れられ、昭和一一年に始まった稚内―利尻―礼文航路でも寄港地となった(礼文島と港)。港湾整備は昭和七年に着工され、同一一年に香深船入澗が完成した。同二五年香深港は地方港湾に指定され、以後整備が進められた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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