礼文村(読み)れぶんむら

日本歴史地名大系 「礼文村」の解説

礼文村
れぶんむら

[現在地名]虻田あぶた郡豊浦町字礼文華れぶんげ・字大岸おおきし・字豊泉とよいずみ、渡島支庁山越やまこし長万部おしやまんべ町字静狩しずかり

明治初年(同二年八月から同六年の間)から明治三五年(一九〇二)三月までの村。虻田郡の西に位置し、明治九年まで礼文華村といった(大小区画沿革表など)。東は弁辺べんべ村、西は山越郡長万部村(現長万部町)、後志国寿都すつつ黒松内くろまつない(現黒松内町)に接し、南は太平洋に臨む。北は山林地帯で、村内の東を小鉾岸おほきし川、中央を礼文華川が流れ、西端に礼文華峠がある。近世レブンゲヲフケシなどからなる。明治三年に出羽米沢藩の支配地調査に来た藩士宮島幹は、「北行日記」同年九月一八日条に「上リ下リ一里余、下レハヲフケシ川アリ、二十余間板橋アリ、行二、三丁土人小屋十軒斗、又山路ヲ行ク事一里余ニシテレブンゲニ至ル、運上一軒土人小屋二十軒余此処ニテ昼餉ス」と記している。


礼文村
れぶんむら

[現在地名]枝幸郡枝幸町岡島おかしま徳志別とくしべつ山臼やまうす乙忠部おつちゆうべ風烈布ふうれつぷ音標おとしべ上音標かみおとしべ

明治一一年(一八七八)一〇月に成立し(大小区画沿革表)、同四二年まで存続した枝幸郡の村。「状況報文」によると南東は紋別郡幌内ほろない(現雄武町)、南は天塩国、西は歌登うたのぼり(現歌登町)、北・東は海に面する。「オチシユペツ川」(現音標川)沿岸に約八七万坪、「フーレプ川」(現フーレップ川)沿岸に約四五万坪の原野があった。


礼文村
れぶんむら

昭和三一年(一九五六)九月、香深かふか村と船泊ふなどまり村が合併して成立した礼文郡の村。同三四年まで存続。両村の合併を促進するための運動が展開され、パンフレットや壁新聞などが作成され、懇談会も開かれた。役場所在地はもとの香深村とし、船泊村には支所を置くことに決定した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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