馬場為八郎(読み)ばば・ためはちろう

朝日日本歴史人物事典 「馬場為八郎」の解説

馬場為八郎

没年:天保9.10.19(1838.12.5)
生年:明和6(1769)
江戸後期の阿蘭陀通詞。名は貞歴,号は貞斎。父は三栖谷仁平。長崎の生まれ。安永7(1778)年稽古通詞,のち小通詞,大通詞へと昇格。通詞馬場左十郎の養父。文化1(1804)年ロシア遣日使節レザーノフ来航の際,通詞石橋助左衛門と共に応接に当たった。同4年幕府天文台の蝦夷地御用として通詞名村多吉郎と共に出府,翌年蝦夷地に出張。同6年の帰郷までの間にロシア東方進出の歴史書『魯西亜国誌支那聘使章』のほか「支那韃靼」「亜墨利加」(為八郎,多吉郎『異国事情』)を訳呈。同11年本木正栄らの英和対訳辞書『諳厄利亜語林大成』編纂に協力。文政11(1828)年シーボルト事件に連座し永牢

(吉田厚子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「馬場為八郎」の解説

馬場為八郎 ばば-ためはちろう

1769-1838 江戸時代後期のオランダ通詞
明和6年生まれ。幕府天文台の蝦夷地(えぞち)御用などをつとめ,文化11年本木庄左衛門らと日本初の英和辞書「諳厄利亜(アンゲリア)語林大成」を編集。文政11年シーボルト事件に連座し,出羽(でわ)亀田藩(秋田県)にあずけられ,天保(てんぽう)9年10月19日死去。70歳。肥前長崎出身。本姓は三栖谷(みくりや)。名は貞歴。号は貞斎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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