馬浦(読み)まつなぎうら

日本歴史地名大系 「馬浦」の解説


まつなぎうら

馬緤とも。若山わかやま西海さいかい浦の内。貞和五年(一三四九)四月一一日の若山庄名主職充行状(常利弁志家文書)に「馬繋浦内恒利名々主職」とあり、同庄領家日野時光が秦左近尉に宛行っている。文和五年(一三五六)二月五日、時光は左近尉に恒利つねとし名内の山林の譲渡を許可している(「友宗山林去渡状」同文書)。この山林の位置が鎌倉後期の馬緤亀まつなぎかめたに窯跡付近と推定されることから、珠洲古陶生産との関連が指摘されている。以後の恒利名の動きは、永和二年(一三七六)一一月九日、本庄宗成が馬緤に所在する本光ほんこう寺に恒利名内平八名の田地を寄進している(「本庄宗成田地寄進状案」本光寺文書)。同四年六月二六日、日野資教が二郎兵衛に恒俊名(恒利名)新田分一町三の名主職を宛行っている(「若山庄名主職充行状」常利弁志家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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