馬瀬郷
まぜごう
中世、郡上郡に含まれた郷。郷域は現益田郡馬瀬村を中心とする馬瀬川流域の山間地帯に比定される。暦応五年(一三四二)二月一九日の光厳上皇院宣(水無瀬神宮文書)に「美濃国馬瀬郷」とみえ、水無瀬三位(具兼)に水無瀬法華堂(現大阪府三島郡島本町)護摩料所として与えられている。下呂町久野川の白山神社所蔵の大般若経奥書によれば延文三年(一三五八)四月一五日以降「美州郡上郡馬瀬郷渡守宮」に常住の道慶が勧進聖となり、春日氏や物部氏などを檀那として大般若経の書写が行われた。この渡守宮を馬瀬村中切の貴船神社とする説もある。なお本願寺八世蓮如より、文明一八年(一四八六)三月二八日には白川善俊(照蓮寺開基)門徒「濃州郡上郡馬瀬」の空専に、長享三年(一四八九)二月一五日には「美濃国満世郷大原」の空善に絵像が与えられた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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