下呂(読み)げろ

精選版 日本国語大辞典 「下呂」の意味・読み・例文・類語

げろ【下呂】

岐阜県中部の地名。下呂温泉があり、また、飛騨川中流域は飛騨木曾川国定公園に指定されている。JR高山本線が通じる。平成一六年(二〇〇四市制

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デジタル大辞泉 「下呂」の意味・読み・例文・類語

げろ【下呂】

岐阜県中部にある市。平成16年(2004)に萩原はぎわら町、小坂おさか町、下呂町金山かなやま町、馬瀬まぜ村が合併して成立。観光業が盛ん。

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改訂新版 世界大百科事典 「下呂」の意味・わかりやすい解説

下呂[市] (げろ)

岐阜県中東部の市。2004年3月小坂(おさか),金山(かなやま),下呂,萩原(はぎわら)の4町と馬瀬(まぜ)村が合体して成立した。人口3万6314(2010)。

下呂市北東部の旧町。旧益田(ました)郡所属。人口4005(2000)。飛驒川上流の益田川流域に位置し,長野県境にある御嶽山(3063m)をはじめとする急峻な山地が町域の大部分を占め,山間を小坂川が流れ,益田川に合流する。河川両岸の河岸段丘上に集落と耕地が点在し,益田川に沿って国道41号線,JR高山本線が走る。合流点付近が中心集落。林業が基幹産業で,面積の大部分が山林である。御嶽山の美濃側の登山基地で,山腹には湯屋(含炭酸食塩重曹泉,14℃),下島(単純炭酸泉,11~15℃),濁河(にごりご)(含土類重曹泉,40~54℃)の各温泉や濁河温泉スキー場,御嶽キャンプ場がある。特別天然記念物のライチョウニホンカモシカが生息する。

下呂市南西部の旧町。旧益田郡所属。人口7868(2000)。町域の大部分は飛驒山系の山地で,中央を馬瀬川が南流して南東寄りを流れる飛驒川上流の益田川に注ぐ。合流点付近が中心集落の金山で,益田川沿いを国道41号線,JR高山本線が走る。旧飛驒・美濃両国の国境地帯にあり,飛驒街道と郡上街道の分岐点の宿場町として発展した。また金山湊には川を下る材木を止めて税を課す金山役所が享禄年間(1528-32)以来幕末まで置かれた。1976年に完成した馬瀬川の岩屋ダムは日本有数のロックフィルダムであるが,ダム建設に伴う離村で人口の減少が著しい。当地から下呂温泉街まで28kmにわたる益田川の渓谷中山七里景勝地で,一帯は飛驒木曾川国定公園に含まれる。馬瀬川支流の横谷川には特別天然記念物のオオサンショウウオが生息する。

下呂市南部の旧町。旧益田郡所属。人口1万4916(2000)。益田川流域にある温泉町。益田川沿岸の段丘上にある下呂温泉(単純泉,33~68℃)は約1000年前に益田川の河床に泉源が発見されたと伝え,中世より飛驒街道の宿場町,湯治場として発展,江戸時代には林羅山が有馬草津とともに日本三名泉の一つにあげた。泉源が河原にあり,洪水で幾度か流出したが,大正末の掘削以来泉源が安定し,湯量も増加した。1930年の高山本線開通後,急速に発展し,第2次大戦後の国道41号,257号線の整備に伴って近代的な温泉旅館,保養所が増加した。温泉街より下流の益田川は中山七里の景勝地で飛驒木曾川国定公園に属する。信貴山中腹にある下呂温泉合掌村には白川村の合掌造10棟が移築されている。竹原には天然記念物のシダレグリ自生地がある。

下呂市北部の旧町。旧益田郡所属。人口1万1716(2000)。益田川流域に位置し,町域の大部分は飛驒山脈に属する山地が占め,河川両岸に発達した河岸段丘上に集落と耕地が分布する。益田川東岸に中心集落の萩原があり,岐阜と高山を結ぶ益田街道の宿場町として発達,明治以降は郡の行政・文化の中心をなしてきた。益田川沿いにJR高山本線,国道41号線が通じる。町域の大部分を占める山林は良質の杉,ヒノキを産し,木工・製材工場が立地する。畜産も行われる。久津(くづ)八幡神社には樹齢約2000年と推定される夫婦杉,禅昌寺にも大杉があり,ともに天然記念物。
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下呂市北西部の旧村。旧益田郡所属。人口1597(2000)。益田川の支流馬瀬川流域に位置し,村域のほとんどが山林で,集落と耕地は馬瀬川沿岸の段丘上に点在する。典型的な山村で,1973年の岩屋ダム建設による水没もあって過疎化が著しい。馬瀬川の清流では淡水魚の養殖が行われ,釣人を集める。国道257号線によって旧萩原町と結ばれる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「下呂」の意味・わかりやすい解説

下呂
げろ

岐阜県中東部、益田郡(ましたぐん)にあった旧町名(下呂町(ちょう))。現在は、下呂(げろ)市の南東部を占める一地区。1926年(大正15)町制施行。1955年(昭和30)竹原、上原(かみはら)、中原の3村を合併。2004年(平成16)萩原(はぎわら)、小坂(おさか)、金山(かなやま)の3町および馬瀬(まぜ)村と合併、市制施行して下呂市となる。下呂温泉で知られた旧下呂町のおもな町並みは、南流する飛騨(ひだ)川(益田川)に沿う。JR高山本線、国道41号、257号が通じ、中京、関西などからの観光客が多い。下呂温泉は泉源が川原にあるため、明治以後、たびたび洪水で湯口が止まり、さびれたが、1924年新泉源の掘削の成功、昭和初期の高山線の開通などに伴い、急速に温泉町としてよみがえった。その後、温泉旅館も増え、近代化、大型化、高層化も進み、変容が著しい。金山町金山から三原までの飛騨川の渓谷は中山七里とよばれる景勝地で、屏風(びょうぶ)岩や羅漢岩などの奇岩がみられる。森地区で2月に行われる田の神祭は、中世の田遊び(田楽)を伝える行事で国指定重要無形民俗文化財である。同地区には合掌村があり、旧大戸家住宅(おおどけじゅうたく)(国指定重要文化財)など白川郷から移築した民家が並び、紙漉(す)きなどの体験ができる工房がある。竹原のシダレグリ自生地は国指定天然記念物。

[上島正徳]

『『下呂町誌』(1954・下呂町)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「下呂」の意味・わかりやすい解説

下呂
げろ

岐阜県中東部,飛騨川の上流益田川中流域にある地区。旧町名。 1926年町制。 1955年竹原,上原,中原の3村と合体。 2004年3月萩原町はじめ3町1村と合併し,下呂市となった。古くは飛騨路の宿場町で,1934年高山本線の開通により温泉町として発展。中心市街地下呂は温泉街 (下呂温泉 ) をなす。区域の多くは山林で,コンニャクなどの栽培が行なわれる。田の神祭は重要無形民俗文化財に指定。竹原のシダレグリ自生地は天然記念物。断崖絶壁をなす益田川流域は中山七里と呼ばれる景勝地で,飛騨木曾川国定公園に属する。川沿いを国道 41号線が通る。

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