日本歴史地名大系 「馬蛤潟新田」の解説
馬蛤潟新田
まてがたしんでん
- 佐賀県:伊万里市
- 馬蛤潟新田
東西に走る断層に起因すると考えられる波多津川の浸食谷が伊万里湾の入江となり、これを唐津藩が干拓造成した。宝永三年(一七〇六)一一月一一日付表紙の馬蛤潟新田思召立覚帳にその経緯が詳しい。
宝永三年末から着工、同四年正月仮小屋建設。地元(辻・畑津・内野)の庄屋を常時勤務させ、材料や道具は最寄りの六組(畑河内・黒川・出野・板木・切木・入野)に拠出させ、人夫を郡中より大動員して同年三月二〇日までに堤防竣工。同五年正月から付帯工事・検地を行い三月二九日までに完了。造成・検地された田畑は、その後の正徳元年(一七一一)・二年の分を合わせて田数二一町九段一六歩半、畑が一段九畝九歩で、「田畑合弐十弐町九畝廿五歩半、分米 合四百九十七石九斗壱升」(正徳六年馬蛤潟新田万覚帳)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報