明治前期、東京・駒場(現、目黒区)に設置された農業学校。農事改良のため欧米の学理と技術とを修得すべく、内務省勧業寮管轄のもとに1874年(明治7)内藤新宿(現、新宿区)に設立された農事修学場(1877年農学校と改称)を前身とし、1878年駒場に移転開校。予科(2年)、専門科(3年。農学、獣医学)で、5人のイギリス人教師が英語で授業を行う。ほかに試業科があり、各府県から選ばれた、農業に経験ある者に日本語で教育が行われ、教員に老農船津伝次平(ふなつでんじへい)が招かれた。その後、外国人教師は、有名なケルネルOskar Kellner(1851―1911)やフェスカらドイツ人にかわり、化学分析的手法が導入された。しかし英独いずれも大農経営を前提とし、日本農業の実情に沿わず、「農学さかえて農業おとろえる」観もあった。老農主義、農本主義などに影響されつつ、日本の科学的農学発達の端緒となる。1886年東京農林学校となり、1890年帝国大学農科大学となり、現在の東京大学農学部に至る。
[木槻哲夫 2018年8月21日]
『安藤圓秀著『農学事始め』(1946・雄山閣/復刻版・1964・東京大学出版会)』▽『安藤圓秀編『駒場農学校等史料』(1966・東京大学出版会)』▽『高山昭夫著『日本農業教育史』(1981・農山漁村文化協会)』
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…このため日本の園芸発祥の地とされる。なお,内務省管轄下で農業,園芸の教育施設として場内に設置された農学寮はのち農学校と改称,さらに駒場へ移され駒場農学校(東京大学農学部の前身)となった。79年宮内省の管轄に移されて新宿植物御苑となり,西洋花卉(かき),蔬菜,温室などの研究施設となった。…
…明治新政府でも,ウィーン,フィラデルフィアの万国博覧会に派遣され,新知識を吸収した。駒場農学校(1878年創立,東大農学部の前身)や上野の山に博物館,動物園を創設,また公園を作るほか,セイヨウリンゴや田中ビワ(枇杷)を広めた。蔵書約6000冊は東京大学に田中文庫として保存されている。…
…同校は76年札幌農学校に改組(北海道大学農学部の前身),W.S.クラークの指導を受けた。また74年東京に設置された農事修学場は,駒場農学校を経て,90年帝国大学に合併される(東京大学農学部の前身)。これら初期の農業教育は日本農業の資本主義化,大農化をめざして行われた。…
※「駒場農学校」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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