朝日日本歴史人物事典 「船津伝次平」の解説
船津伝次平
生年:天保3.11.1(1832.11.22)
中村直三,奈良専二と共に明治三老農と称された。上野国(群馬県)勢多郡原之郷村の旧家に生まれる。幼名市蔵。父は名主で農事のかたわら寺子屋で教えた。少年時代父のもとで農蚕に従う。嘉永3(1850)年19歳のとき斎藤宜義につき関流和算を学び,3年にして同流和算の皆伝を受ける。このころより農蚕に熱を入れる。安政4(1857)年父の死により家督を継ぎ伝次平を襲名。翌5年名主となり赤城山麓約400haに植林,水源涵養に努める。明治1(1868)年前橋藩より原之郷ほか35カ村の大総代を命じられる。廃藩置県後熊谷県の御用掛となり,地租改正実施や養蚕業の指導に当たる。8年農事に精通する者として熊谷県より推挙され,10年上京。内務省御用掛となり,駒場農学校に勤務。以後8年間農場監督として学生を指導,多くの農学者を育てた。彼の農法は在来農法に西洋農法の長所を取り入れたもので,混同農法と呼ばれる。19年農商務省に転じ,農事巡回教師としてその足跡は沖縄を除く全国におよび,農談会,集談会で改良農事の普及に尽力。その講話は各府県の広報誌に掲載され,大きな影響を与えた。著書に『桑苗簀伏法』(1873),『太陽暦耕作一覧』(同),『養蚕の教』(1875),『稲作小言』(1890)などがある。<参考文献>須々田黎吉「『船津甲部巡回教師演説筆記』解題」(『明治農書全集』2巻),石井泰吉「船津伝次平の事蹟」(『日本農業発達史』4巻),大島清他「老農の群像」(『明治のイデオローグ』)
(田口勝一郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報