内藤新宿(読み)ナイトウシンジュク

百科事典マイペディアの解説

内藤新宿【ないとうしんじゅく】

現在の新宿区南部に形成された甲州道中の第1宿。江戸四宿の一つ。宿西端の追分(おいわけ)で青梅街道が分岐。1697年江戸浅草阿部川町名主喜兵衛など5人が幕府に宿の開設を願出,1698年に許可され,翌1699年から伝馬業務を開始。信濃高遠藩主内藤家の下屋敷の一部を割いて新しい宿が成立したので内藤新宿の名があるという。江戸日本橋からは2里,次宿は上・下の高井戸宿で,下高井戸宿までは2里,上高井戸宿まで2里余。ほかに青梅街道中野村(現中野区)などにも継ぎ送った。1718年に宿はいったん廃止となり,1772年に再開。廃止となった理由は,旅籠屋に食売(めしうり)女(飯盛女)を置いて遊里化し,享保改革の風紀粛正に抵触したから,甲州道中の利用者が少なかったからなど諸説がある。宿場は東の四ッ谷大木戸寄りから下町・仲町(中町)・上町に分かれ,問屋場は時代によってこの3町の間で動いた。宿建人馬は25人・25匹。茶店・商家なども多く,再開後は150人の食売女を抱えることが公許されたが,実数はこれよりも多く,文化年間(1804年−1818年)には吉原品川宿をも凌ぐ賑わいとさえいわれた。1843年には旅籠屋24軒・家数698・人数2377,本陣は仲町にあるが,脇本陣はなかった(《宿村大概帳》)。→千住宿板橋宿

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世界大百科事典 第2版の解説

ないとうしんじゅく【内藤新宿】

江戸の北西部,武蔵国豊島郡に設置された甲州道中の宿駅で,江戸周辺の品川(東海道),千住(日光道中),板橋(中山道)とともに四宿と呼ばれた。現在の新宿区新宿1~3丁目一帯。江戸浅草阿部川町の名主喜兵衛ほか4人の出願によって1698年(元禄11)に置かれた新しい宿駅である。宿はずれの追分(おいわけ)で青梅街道を分岐し,両者の第1宿を兼ねる。江戸日本橋まで2里(8km足らず),西の次の宿へは甲州道中の下高井戸宿まで2里,青梅街道の中野村まで20丁(2km余)である。

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大辞林 第三版の解説

ないとうしんじゅく【内藤新宿】

品川・千住・板橋とともに、江戸四駅の一。1698年武蔵国豊島郡(現在の東京都新宿区一~三丁目)の高遠藩内藤氏下屋敷の近くに新設された甲州街道の第一宿。宿はずれの追分で青梅街道が分岐。江戸の歓楽地として繁栄、商業も盛んであった。

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世界大百科事典内の内藤新宿の言及

【新宿】より

…JR新宿駅の周辺地区で新宿,西新宿,北新宿の町名がある。1698年(元禄11)高遠藩主内藤氏の下屋敷に甲州道中の宿駅として内藤新宿が設けられた。新宿追分(おいわけ)からは甲州道中の脇往還である青梅(おうめ)街道も分岐し,品川,千住,板橋と並ぶ江戸四宿の一つとして栄えた。…

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