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内藤新宿 ナイトウシンジュク

4件 の用語解説(内藤新宿の意味・用語解説を検索)

デジタル大辞泉の解説

ないとう‐しんじゅく【内藤新宿】

江戸時代、甲州街道日本橋高井戸との間にあった宿駅。元禄11年(1698)、信州高遠藩主内藤家の下屋敷の一部に新たに設置された。今日の新宿区新宿の発祥の地。

出典|小学館
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百科事典マイペディアの解説

内藤新宿【ないとうしんじゅく】

現在の新宿区南部に形成された甲州道中の第1宿。江戸四宿の一つ。宿西端の追分(おいわけ)で青梅街道が分岐。1697年江戸浅草阿部川町名主喜兵衛など5人が幕府に宿の開設を願出,1698年に許可され,翌1699年から伝馬業務を開始。

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世界大百科事典 第2版の解説

ないとうしんじゅく【内藤新宿】

江戸の北西部,武蔵国豊島郡に設置された甲州道中の宿駅で,江戸周辺の品川(東海道),千住(日光道中),板橋(中山道)とともに四宿と呼ばれた。現在の新宿区新宿1~3丁目一帯。江戸浅草阿部川町の名主喜兵衛ほか4人の出願によって1698年(元禄11)に置かれた新しい宿駅である。宿はずれの追分(おいわけ)で青梅街道を分岐し,両者の第1宿を兼ねる。江戸日本橋まで2里(8km足らず),西の次の宿へは甲州道中の下高井戸宿まで2里,青梅街道の中野村まで20丁(2km余)である。

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大辞林 第三版の解説

ないとうしんじゅく【内藤新宿】

品川・千住・板橋とともに、江戸四駅の一。1698年武蔵国豊島郡(現在の東京都新宿区一~三丁目)の高遠藩内藤氏下屋敷の近くに新設された甲州街道の第一宿。宿はずれの追分で青梅街道が分岐。江戸の歓楽地として繁栄、商業も盛んであった。

出典|三省堂
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世界大百科事典内の内藤新宿の言及

【新宿】より

…JR新宿駅の周辺地区で新宿,西新宿,北新宿の町名がある。1698年(元禄11)高遠藩主内藤氏の下屋敷に甲州道中の宿駅として内藤新宿が設けられた。新宿追分(おいわけ)からは甲州道中の脇往還である青梅(おうめ)街道も分岐し,品川,千住,板橋と並ぶ江戸四宿の一つとして栄えた。…

※「内藤新宿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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